-
マウント
「マウントをとる」なんて言葉は昔は無かったと思う。「マウント」は「マウンテン」に由来し、要するに「お山の大将になる」という事だ。何かと他人に対して優位でいたいという願望が生み出す言動で、その為には知識をひけらかしたり、見…
-
春の長雨の下で
昨年夏に感動の復活を遂げた岐阜の子供達のバンドによる「強化練習」だが、今春はいよいよ「合宿」という形で再開する運びとなった。コロナは5月からインフルエンザと同じ扱いになる事となり、今月から既にマスクも国レヴェルで「着脱自…
-
藝大フィルとの35年(その11)さよなら藝大
他にもつれづれなるままに思いついた諸々を挙げて、このシリーズの打ち止めとしよう。 楽員会 入団時に勧められて何となく入ったのが「楽員会」である。読んで字の如し、藝フィルの楽員による組織で「会員相互の親睦と共済を図る」とい…
-
藝大フィルとの35年(その10)黄金時代の終わり
信じ難い“私物化” 昨年、元藝大フルート科教授のS.K先生が他界した。自分も大学院時代はお世話になったが、その当時は相当あちこちで活躍されて忙しかったせいか、自分がS.K先生のレッスンを受けたのはトータルでせいぜい4〜5…
-
藝大フィルとの35年(その9)泥まみれのオーディション
衝撃的な募集要項 一昨年の4月のある日、藝大のホームページに「フルート奏者募集」の要項が張り出された。大変驚いた。パートナーであるOさんが定年退職されるので、その後任の募集なのだが、日付といい課題曲といい、全て勝手に決め…
-
藝大フィルとの35年(その8)シフト係
退職するまでこれをずっと自分がやってきた訳だが、最初はいつ頃からだったのか…それは覚えていない。「シフト係」とはつまり、誰がどの曲でどのパートを吹くかを管理する役なのだが、自分がオケに入りたてのバリバリの新人時代は一体ど…
-
藝大フィルとの35年(その7)営業部長
1994年位から数年の間、それまでは薄っぺらかったGオケの定演パンフレットがやけにページ数が多くて厚ぼったかった時期がある。中を開いてみると今までには載らなかった「座談会」というコーナーが入っている。そしてその登場人物の…
-
藝大フィルとの35年(その6)下に載っている上の人達
部長と運営委員会 藝大フィルは2017年に「日本オーケストラ連盟」の準会員となり、創立して120年以上も経ってから漸く他のプロオケの仲間にして貰えたが、他と決定的に違う点はまず国立大学に所属している事。そして事務局の他に…
-
藝フィルとの35年(その5)歴代外国人指揮者考察
フランシス・トラヴィス 1989〜1994 客員教授【テンポ感】無いに等しい。1小節とて保てない。【表現力】あまり無い。が、第九の終楽章で「ヘェ〜、此奴にも少しは音楽があったのか」と思う瞬間が1回だけ。【効率性】意味なく…
-
藝大フィルとの35年(その4)棒を振る人/棒に振る人
「オケ連」に加入したら、組織を変えなくてはならないことは先述の通りだが、その中に「常任指揮者を立てる」というのがある。Gフィルでは高関健先生・山下一史先生・そして迫昭嘉先生だったが、高関先生はこの3月で退職され、現在首席…