オーケストラ,  藝フィルレポート

藝大フィルとの35年(その7)営業部長

1994年位から数年の間、それまでは薄っぺらかったGオケの定演パンフレットがやけにページ数が多くて厚ぼったかった時期がある。中を開いてみると今までには載らなかった「座談会」というコーナーが入っている。そしてその登場人物の中には必ずと言って良い程、時のM.A部長が居た。

M.A先生は部長就任の際に「藝大オケの“営業部長”として頑張っていきます」とご挨拶していたのは今でも忘れない。確かに部長は部長なりに学外に向けてGオケをアピールすべく、骨身を削っていた。その手腕は賞賛すべきものであったが、一方で当時の楽員達から強烈な顰蹙を買っていたのも事実である。

その火付け役となったのが、第275回定期演奏会のパンフレットの内容である。そもそも自分などは、パンフレットの中のこのような対談などは興味がなくて殆ど読まないのだが、流石にこの対談は楽員達が皆中身を二度見・三度見するような、衝撃の内容であった。

指揮者無しのボレロ

1997年5月22日。池袋の東京芸術劇場。その最初のプログラムはとても画期的な試みだった。

お馴染みのラヴェル作曲「ボレロ」だが、指揮者は居ない。元N響のティンパニ奏者だったM.A部長自らが小太鼓を肩にかけて、定番のリズムを叩きながらステージ上を歩き回る。最初のフルート・ソロはオルガンの上手側バックステージから。次のクラリネットは下手側から登場。曲が進むにつれてオーケストラが次第に集まり、最後は全員で大合奏、盛大に曲を締めくくり、会場は拍手喝采であった。

これまでにない演出だけに、リハーサルは紆余曲折あったのだが、とにかくこれはこれで大好評であった(従って、それから1年後に開館した藝大内の新奏楽堂の落成式でも、この演出でボレロを演奏した)。

問題の対談はその時のプログラム・パンフレットにあった。
ではここに(かなり長いが)その全文を挙げてみよう。

念の為に断っておくが、これは今から26年前、1997年当時の芸大オケの状況下での出来事である。

鼎談-芸大オーケストラへの真率な期待
出 席 者
日本演奏連盟 専務理事=K
音楽評論家=F
新日本フィルハーモニー交響楽団 専務理事=M
管弦楽研究部長=A

【芸大オケの現状はどうだろう】
A:今日はようこそおいでいただきました。今回もまた東京芸術大学管弦楽研究部の定期演奏会が行われる訳ですが、それについてでもそれ以外でも構いません、どうぞお気軽にお話をなさってください。
M:Aさんは部長となっていらっしゃるけれど、具体的には何をなさっているのですか。
A:個々の指揮者に選曲をお願いすると、プログラムに共通性がないんです。運営委員会というのがあるんですが、そこまで手がまわらない。しかし演目に共通性が欲しいものですから、僕、口をはさませてもらっているんです。
M:言ってみればマネージャーのようなものですね。
A:そうみたいですね。
M:ではオーケストラを活性化させるためには、どういうところに問題があるとお考えですか。プログラム・構成メンバー・指揮者・お金等、いろいろ考えられると思うのですが。
F:講師の人達はどの位の時間練習に拘束されていて、どういう待遇なんですか。
A:練習は週に3回の午前中です。内容としては、指揮科の試験と、新人演奏会といって各科から選ばれた最優秀学生にチャンスを与える演奏会が4月下旬にあります。さらに作曲科の新作初演やピアノ・弦・管打から選ばれた18人のソリストの為のモーニングコンサートも行っています。
K:この表を見ると、相当活動してらっしゃいますね。
A:はい。ただモーニングコンサートも午前11時に始まるものですから、お客さんがあまり来ない。でもそのコンサートを夕方から始めると、拘束時間がイレギュラーになってしまう。難しいんですよ。
F:大体、どういう目的のためにこのオーケストラがあるのかが、私には解らないですよ。 どのような聴衆を対象としているのか?とか目的がはっきりしてなくて、オーケストラがあって、さあせっかくあるんだから上手くなきゃならない、なんて幾ら言ってみても仕方がない。対象が定まっていないのだから、どういう方向に行っいいですよ、という意見が出て来ないですよね。
M:一般の聴衆を対象としてるのですか?それとも学内の学生を相手としているのですか?
A:学生はオーケストラにあまり関心がないようですし、学内での評判も今ひとつです。解体論もありますが、だからといって今解体するというわけにもいかない。最大限に活かすにはどうしたらいいか?というアップ指向が必要なのです。
F:僕も解体した方がいいとは思わない。
A:僕としては学外でコンサートをやる以上、芸大はこういう事をやっていると知って頂きたい為に、外のお客さんを集めたいです。
F:新しい奏楽堂ができますね。 ということはそこで定期的な活動ができるようになる、と考えなきゃならないですね。ところが今は池袋の芸術劇場やその他のホールでやっていて、一般の聴衆がたくさん集まってくれるといいのですが、そうでない。となると、何をやってるのだかよく分からない。
A:そういった問題の(解決の)手始めとして、一連のプ ログラミングを始めたんです。「芸大さん、何をやろうとしているの?」と思わせる働きかけです。そういう訳で、今日3人に集まって頂いて、更に何か提言して頂こうと思った次第です。
M:この運営委員の人達はオーケストラの中では演奏しないんですか。
A:常勤になった人はなかなか弾きたがらないです。なるべく出てほしいなぁと思います。
M:おもに非常勤の方が弾いておられるのですか?
A:はい。足りないところはエキストラを入れたり、大学院生にやってもらっています。
F:いわゆる教授陣は入っていないんですね。
A:コンサートマスターとしてT.Sさんが入っております。他の方にももっと入って頂きたいですね。
F:素朴な質問をしますが、「管弦楽研究部」は何を研究するのですか。
A:名前についても、最初についた名前をただ引きずっているだけなんですよね。堀江先生の前の方がおつけになったそうですが、「芸大フィルハーモニア」という名称は、フェルドブリル先生が「オーケストラなのに自分が外で演奏する時に『研究部』というのでは困る」と。「何かいい名前が付けられないだろうか』と言われまして、 検討した結果そうなったとも聞いています。藝大や文部省の中ではこの名前は通用しませんが、 外や外国の先生の間ではそのまま使われています。
K:文部省ということは、これは団体ではなく研究部なんですね。
F:時間給で給料は出ている訳なんだから、当然文部省の方でどういう待遇になっているかはあるんでしょう。
K:僕等は外から見てましてね、日本のオーケストラの調査とかよくやるんですが、芸大オーケストラをどういう風に分類すべきか、という問題は必ず出て来るんです。僕は実情を多少知っている訳だから、プロの方が弾いているのは間違いないし、しかも月給をもらっていらっしゃるし、少ないながらも春秋には定期演奏会をやっておられますしね。1つのオケとみなすべきだと思うんです。だけれども、オーケストラというのは聴衆が居ないと成立しないわけでしょう。ところが「芸大定期って聴いたことがあるか?」って周りに訊いても、聴いた事のある人がいないんですよ。
A:「芸大」って付くものですから、学生のオーケストラだと思っている人が殆どなんですよ。でもこの「芸大」という名前は取れないらしいです。
F:お金が絡んでくるからですね。
最近のことはよく知らなかったのですが、資料を見ますと普通のオーケストラでは経済効率等を考えてできないような曲を随分採り上げていらっしゃいますね。
F:そういう活動ができる所だということですね。
K:そういうことも今までなかったのにおやりになるようになったのですから、これからも日本の音楽聴衆に対して存在を知ってもらうような働きかけを積極的になさるべきだと思いますよ。
F:言葉は乱暴ですが、商売してはいけないんですか?
A:僕はしたいんですよ。
F:それならば昔のパリ音楽院のオーケストラのようになってみては。例えばベルリオーズは、自分の作品を発表したいと思ってパリ音楽院のオーケストラに頼んで演奏会をしているでしょう。作曲家が自分たちの作品を表現したいと思った時に、芸大オーケストラにお金を払って演奏をしてもらうコンサートを開く、というのも良いでしょうね。

【外に向かってプレイしよう !】 
A:実際にそれ程大きな仕事はないんですが、音楽教室がポコッと入ってきたりする事があるんです。僕はそういうのを幾つかやって行く事によって、レベルも上がっていくと思うんですよね。 外に向かってプレイをすることが意識の活性化につながるんじゃないかと。
F:学校の中ではみんな悪口を言ってるかもしれないけれど、お客は悪口を言ってないんだよね。 お客が悪口を言うようになると、オーケストラは進歩するんだ。
K:先ず外の人に知らせることが大事でしょうね。
A:僕、商売したいです。それに都民芸術祭に出たいですね。
K:あれは演奏連盟 がプロのオーケストラと認めればいいのですが… 。
F:そのためには芸大のオーケストラが日本のプロオーケストラ連盟とかに参加しているという状態になっていないと一緒に話は持っていけないと思いますよ。
K:オーケストラの形態も整えて。常任指揮者という形もありませんとね。実際はボッセさんがいたり佐藤功太郎さんがやるっていう事が大体決まっているんだけど、そういう肩書きがある訳ではないしね。
F:パリ音楽院では院長が会長で、常任指揮者が副会長を兼ねるというのがずっと続いていましたね。
K:それから定期演奏会が春秋だけでなく、もうちょっと数が多いといいですね。
A:いつもやっているモーニングコンサートを定期にもっていければいいんでしょうけれど。 随分回数はやっているんですけどね。
M:奏楽堂はいつできるんですか?
A:来年の4月にできまして…
M:大学の講堂なので一般のお客さんは集めちゃいけないんですか?
A:いいえ、そんなことはありません。一般のお客さんを対象にしてますから。
M:折角良いチャンスなんですから、今後どのようにそのホールを活用していくかという理由で藝大オーケストラの演奏をその中に組み込んでいって、一般聴衆に向けて「こういうオーケストラでこういう曲をやるんだ」とアナウンスするといいでしょうね。今Aさんがおやりになろうと思っていらっしゃる線があってね、例えば毎年日本の現代作曲家の作品を採り上げていくというならそれで、なかなかプロのオーケストラではできにくいからね。1つの方針を決めて、なおかつそれを聴衆に向かって広めていくのが大事ですね。それがサントリー ホールや東京文化会館だと厄介だし、折角奏楽堂もできるんですから、上手く活用していくしかないんじゃないかな。
K:実際、有料でやっているんですよね。
M:そのお金は何処に入るのですか。
A:大蔵省です。だから幾ら稼いでも大蔵省に入ってしまうんです。その代わり、国からは研究費ということで援助が出るんです。
M:経費が出るんですか。例えば指揮料とか?
A:いえ、会場費や印刷費は出るんですが、出演料という名目はないです。常勤はプレイしても何も出ません。
M:非常勤の人は時間給で出るわけですね。
A:はい。常勤者がソリストをつとめてもタダなんです。
M:それはおかしいな。
K:団体になっていないのがいけないんだろうな。独立した任意団体でもいいんですよ。文部省なりが認めてくれればね。。。
M:それは大変でしょうね。一塊のマネージメントを置いて、それはそれはしっかりゃらなくちゃ。そうすると「研究部」ではなくて「管弦楽団」になる訳ですよ。
K:何よりも宣伝費がないと絶対だめだと思うんですよ。普通の人は誰も知らないもの。
A:ですから、学校のことだけやっていれば僕はなにもこういうことをやらなくったっていいんです。ただ座っていれば済んでしまうんですよ。こういったポスターのデザインも美術の常勤の先生方に頼んでいるものですから、頼み込んでタダでやって頂いているんです。
M:なかなかの辣腕なマネージャーですな。
A: 僕が部長になった時、音楽と美術の先生方の交流を持とうという有志の集まり「赤煉瓦の会」 で「よろしく」とお願いに上がりました。そうしたら「芸大にオケがあるの?!」と言われてビックリ仰天。急いで美術の先生方のところに宣伝に行ったんですよ。それ以来ポスターをお願いしているんです。おかげで学長の澄川先生(当時) もかなり関心を持って下さり、芸大定期公演を地方に売りたい売りたい、とおっしゃって下さっています。

【オケの矛盾点】
F:きちんとした組織としてやればそういうことも考えられるけど、今のままだとね…。
M:Aさんがボランティアだというのは凄いですね。
F:芸大オケの講師になる人達は芸大卒でないといけない、という規則はあるのですか?
A:いいえ、個人的には、そのようにしたくないです。
F:そうですか 。その方達は本当のところどうなんでしょう。このままのんびりしていたくて、いざ本格的にオーケストラを作りましょうとなると、そこまでやるのはちょっと… とならないでしょうかね。
M:半分あるかも知れませんね。というのは、今のところは週3回の午前中の拘束だけですんでいるわけですよ!それも義務のあるようなないようなで。言ってみれば楽な訳ですよ。
F:しかも藝大講師の肩書きのままでいられますしね。
M:それにその拘束の割には時間給が悪くないですし、フリーの仕事をしながらでもオケの仕事ができる。管楽器の人達などやっぱりオケで吹きたいじゃないですか。そういう人達にとって非常に居心地の良い場所だと思いますね。
F:それがもっと積極的に動き出したらいいでしょうが、でもそうすると忙しくなってしまうから。
M:例えばね、定期演奏会を年2回ではなく8回にしましょうとなった時に、こんな筈じゃなかったと言う人が出てきちゃうと辛いですね。
F:そうです。例え金が少し位出ても、そういうことをしたくないというのであれば問題でしょうね。ですからそういう人間を最初から考えてオーケストラを作ってないというところが先ず問題ですね。
M:常勤の方を見るとそれなりにみんなオーケストラの経験があってね、言ってみればかなり優秀なオーケストラのプレーヤーなんですね。そういう人達をもっと積極的に取り込めるような組織にすると、僕はかなり評判になると思うんです。常勤の教授や助教授にこのオーケストラで演奏してもらうのには、何か難しい制約があるのですか。
A:いいえ、何も。
F:ただ、オーケストラで弾いても、給料内で全部やらなきゃならないということはあるんですよね 。
M:そうか、変わらないのか。じゃあ負担だけ増えるのか。
A:演奏部長をやってもオーケストラ部長をやっても何の手当もないんです。
M:それは何処からかお金を持って来て、役職給を付けないことにはやってられないね。時間をもの凄く取られるでしょう。
F:やらない方が良いという事になってしまう。それは問題ですね。
K:つまり彼らは非常勤講師なんですよ 。オーケストラのメンバーではなくてね。この二つの役職は全く違うものだから 、それらを一致させるのはとても難しいでしょうね。
M:そいつは厄介ですね。
F:そういう問題が根底にあるんですね。
A:何もやらなきゃいいなんて、そうなってしまうとつまらないです。
M:そりゃそうだ。
F:しかし色々な問題が絡んでくるから、理想論は振り舞わせても、現実に解決しなくてはならない問題が足元には多過ぎる位ですね。
M:どこのオーケストラでもそうなんですけど、指揮者とマネージャーが必要ですね。ボッセさんが常任指揮者だとするならば、彼のやりたいことを理解して駆け回る人ですね。
K:それも大事ですが、その前に講師的な考え方がある。講師は個人単位ですよね 。オーケストラはチームだから、そこのところが非常に難しいです。
F:それに彼らは芸大講師という肩書きにが執着があるでしょうね、おそらく。
K:非常に大きなメリットでしょうね。
F:芸大管弦楽団の団員であるのとどちらがいか?と言われたら、芸大講師の方が良いのかも知れない。だからオーケストラをやって時間を沢山拘束されて、しかも芸大講師の肩書きがなくなるのでしょう。デメリットの方が多いな、と思う人も多分いるでしょう。そういう問題も合めた上で、どういう在り方がいいかを根本から考え直さなければならないでしょうね。折角定期があるのだから、4回を8回にしろなどと言うのは簡単ですが、この組織そのものをどうするかをまず解決しないことには実現しないですよね。「芸大にオーケストラがなくてはならない」という事をどういう形ではっきりさせるか。尤も「無くてもいいんだ」ということになると困るんだよね。何故かっていうと、昔は東京音楽学校のオーケストラっていうと日本で唯一のような存在だった訳でしょ。 だから大変な存在感があったんですよ。じゃあ今、東京芸大のオケがなかったら日本のオーケストラがどうなるか?とてもだめだ、などと言う人はまずいませんよね。 だからここにオーケストラがちゃんと存在していて、ここでオーケストラを研究していた人達が世の中に出て行って日本のオーケストラ界を向上させるんだ、という風に成り立っていかないと、存在意義が無くなってしまう。それでなければ、先程のように損得考えずに新しい作品を発表していくのもいいですね。それは選んだっていいと思いますよ。 素人みたいな作曲家が自分の作品を発表してくれと言ってきたとしたら、やることないと思います。
A:確か、学生の新作もやっていますよね。
M:それは昔からやっていますね。
F:僕らの頃までは学生と教師のオケでしたからね。作曲科の矢代秋雄さんや、大橋さんがティンパニを叩いていた頃ですけれどね。
M:でもオーケストラのメンバーは、このオーケストラが無くなってしまうと時間給が無くなってしまうから困るんでしょうね。
F:それに肩書きが無くなってしまうんですよ。
M:しかしこれは極めて難しいバランスの上に成り立っていますね。
K:芸大に直接関係のある方の考えはそうなんでしょうね。
F:週3回午前以外に演奏会がありますよね。リハーサルというのは…。
A:その中でやるんです。
F:コンサートはどうなんですか。
A:すべて時間内に含まれています。
F:ということは、週3回午前分のお金以外には何も出ないのですね。では週4回とか8回にするとしたら・・•・。
A:時間給を増やすということになるでしょうね。それにはこのオケがどうしても必要だということをもの凄くアピールする必要があるでしょうね。
M:予算をとらなきゃならないものね。
A:それが非常勤講師が多いものですから、研究費が殆ど無くなってしまうんです。先生方の中には、もっと研究したいからオケをつぶしちゃえという意見もあったんです。でも私が強く存在意義を唱え、更に演奏センターができるというので、チーフも熱を入れるようになったんです。モーニングコンサートの一覧を見ていただくと分かるように、随分珍しい作品を扱っています。このようなことは外ではできないので、ということでやってきました。
F:ただ、ウィークデーの11時ですからね。。。
A:できたら夕方から始めて一人でも多くの方々に 聴いていただきたいなぁ。
F:実際に聴衆に聞いてもらわなければどうしようもない訳で、その為には皆が来られる時間にやってもらいたいですね。夕方であるとか、夜であるとか。
A:奏楽堂が無かったので、オケ練習場でモーニングコンサートをやらねばならなかったものですから、学校の時間帯の中でやらねばならないし、カリキュラムの関係上使える時間が限られてしまって。。。

【新しい奏楽堂には活性化されたオケを!】

F:今度奏楽堂ができますが、何のために作るのかというところから考えないことには。昔あったから建てるというのではなく、ちゃんと座つきのオーケストラをおいてオペラを上演するとかね。大阪音大には オペラハウスがありますが、大阪音大オペラハウス管弦楽団というオケも持っています。合唱もオケも契約でやっていて、しかもオケは独立して仕事ができるようになっている。だから四国辺りでオペラをやる時には、このオケに来てもらって上演するという事もやっているし、オケとしては定期演会や学生とのコンチェルトの伴奏もやっている 。きちっとしたことを私立の大学がやっているのに 、芸大はそれすらできてない。
M:今回新しい奏楽堂ができるのはいいチャンスですね。そこで何をやるのかという事を予算でよく組んで、運営経費だけでこのオケを維持していくことも当然考えるべきだ 。そうなると今後3年分位の活動計画を作って、建物とセットにしてやられていくといいですね。
F:僕ははじめこのお話があった時、奏楽堂ができてオケがこれからそこでずっとやっていくのに、どういった事をやればいいでしょうという事か、と思ったんです。
A:その前の段階だったんです。
F:オケがあって奏楽堂ができるんだから、そこにあるべきオーケストラとしてやって行かねば。そうすればいろんなことができますよ。
K:芸大はオペラをやる時にこのオーケストラを使うんですよね。
F:オペラも商売に出ていけばいいのに 。実際のところプロのオケのスケジュールが合わなくて、寄せ集めでバレエやオペラをやっているような事もあるんですよ。そんなことをする位だったら芸大のオーケストラがやった方がよっぽどいい。僕らのころは芸大合唱団 がN響の定期に出たり、いろいろやっていましたよ。
K:プロのオーケストラを押し退けてしまう位であってもいいと思いますよ。そこで初めて上手下手の問題が出てくる訳ですよ。我々が幾ら上手だとか下手だとかいうよりも、外から言われた方がためになりますしね。
F:金払ってるんだぞ、というようにね。 ただ収益金をどうするかという問題 が残りますが。
M:芸大オケは唯一の国立のオーケストラなんですからね。簡単に無くすには惜しいですよ。
F:昔は競争相手が他になかったから、その存在だけで重要性があったけれど、今はこれだけ沢山あるけれども芸大のオケが無い事はと、解ってもらわないと。。。
M:芸大は作曲科や指揮科、管楽器だって揃っている訳でしょ。皆が皆独奏する訳ではなくて、アンサンブルやオーケストラ、オペラだってやらなきゃならない。こうした教育の一貫であるというだけでなく、何よりも他人の前でやるというのが大切な事ですよね。
K:外から見てますと非常に勿体無いという気がしますよね。上手下手は別としましても、活動すればかなりの事ができるというのは誰でも思っていますよ。日本人の作品だってできるし、かなり経済効率の悪いような分野もやろうと思えばできますでしょ。 そういうのを売り物にしていけば段々そこに聴衆がついてきますよ。今度は聴衆が芸大のオーケストラは潰しちゃいけないというようになる。そういう風にしなければいけないでしょうね。
A:貴重なご意見を頂きありがとうございました。 これを大いに参考にさせて頂きつつ、更に努力していきたいと思います。本日はまことにありがとうございました。

この対談からは、部長が如何にGフィルを売り込んでいきたいかという意気込みが感じられ、それはとてもありがたい事である。その為に当時の藝大とGフィルの関係を赤裸々にする場面も、ある程度は仕方なかった。しかしながら、対談の中盤から楽員への揶揄めいた発言が始まっていったのをそのまま載せてしまった事が、楽員達の逆鱗に触れた。全くの無編集というのも恐らく部長の指示によるものだったと思うが、流石にそのままコンサートのプログラムに載せちゃうという神経も自分には理解し難い。当時の楽員会(楽員による互助会みたいな組織で参加は任意。労組ではない)はそれこそ喧々諤々で、このような抗議文を作成した。

「我々管弦楽研究部非常勤部員は演奏者として日頃よりこのオーケストラの更なる発展と充実のためを願えばこそ真摯に努力し協力してきたところである。オーケストラ団員であり、しかも非常勤であるという様々な制約の中では『音楽のため』というただ一言を支えにする他はなかったのが実状である。しかるに今回のブログラムに掲載された座談会の内容は研究費と人件費の区別もできないほど事実を誤認して発言されたり、実情も知らないまま単なる憶測に基づいて発言、識論されており、到感大学自身の刊行物と し て広く聴衆ならびに社会に発表できないものと考える。

 問題はそれにとどまらず、事実誤認や単なる憶測に基づく発言によって真摯に演美してきた管弦楽研究部非常勤部員の人格を著しく誹謗し侵害するものである。 我々がなにゆえに我々自身の演奏会 のブログラムの中で、この様ないわれなき辱めを受けねばならないのか、到底これを受け入れることは出来ない。このような文章を掲載した目的はどこにあるのか、先日の我々に対する説明では全く理解することが出来ない。このオーケストラの発展の為なのか、我々演奏者を辱める為なのかを先ず説明すべきものと考える。現に我々演奏を終えた奏者に対してプログラムを入手した聴衆の方々から直接に、あるいは電話で話しかけられ、「演奏は素晴らしかったですよ、しかしひどいことを載せますね、一体なんという大学なんですか?」と、全く見ず知らずの方に憤慨され同情された奏者も一人や二人ではない状況である。責任者はこの状況を真摯に且つ厳しく受け止め、誠意を持って我々に回答すべきである。

『教官研究費の一部が流用されてオーケストラ人件費に使われている』との言説 は以前から行われていて、国立大学において予算流用などということはゆゆしき問題であるにも関わらず、 ブログラムの中でも明らかなようにオーケストラをたたくための有力な武器として用いられてきた経緯がある。1994年6月6日の会議においても当時の副部長より同様の主旨で発言がなされ、部長が強く否定した問題でもある。予算流用どころか我々の給与の充足率は芸大の中ではオベラ研発部の非常動講師と共に特に低く設定されてきたのが事実である。にもかかわらずこの様な事実誤認に基づく不当な 言説が行われ続ければ、これまで我々が様々な制約の中で努力してきたことも理解されないのみならず、近い将来このオーケストラが演奏センターの中で正当な位置を確保できるのか甚だ心許ない。責任者は速やかに誤解を正す具体的な処置を取って頂きたい。
『それに彼らは芸大講師という肩書きに執着があるでしょうね。おそらく。』以下この認識を前提に出席者の議論が進められていくのである。『おそらく』ということで決めつけておいて議論を進めるなど全く恐ろしいことである。各発言者は我々演奏のことをどれだけご存じなのか、公的な刊行物で発言するからには調査でも行われたのか、我々は演奏者としてこのオケの更なる発展と充実のために歯を食いしばっているのにも関わらず、何故『おそらく』という憶測で決めつけられなければならないのか、 涙すら禁じ得ない。我々には人格がないのか、人間以下なのかはっきりと回答していただきたい。我々はこのオーケストラのために正しい認識に基づいた建設的な議論をし、 努力をしたいと思っているものである。

 憶測に基づいて他人の人格をおとしめる権利が誰にあるというのかはっきりとした回答をいただきたい。出席者の議論はこの程度の認識をもとにして成り立っており、いやしくも大学自身の刊行物として適切でないのみならず、我々の建設的な姿勢に対して人権優書が準備されていたのである。従って今回のプログラムの座談会の部分を訂正することはもちろん、オーケストラ運営の正常化がなされなければならないと考える。

 学則の『管弦楽研究部運営規則』にもとづいて研究部会議を正しく行い運営されなければ、再び重大な事実誤認や憶測によって我々が不当な扱いを受けるのみならず、 更なる発展と充実のための我々の真意や努力は理解すらされないことに なる。責任者個人の問題として片づけることなく、運営システムの正常化をも強く求めるところである。

以上の責任者の誠意ある回答を強く申し入れるものである 。

…最早一体何が言いたいのか、理解し難いほどメチャクチャ怒っている抗議文である。だが、人間が“怒髪天を衝く”時というのは、1.事実無根の事を言われて理不尽な思いをした場合ともうひとつ、2.核心を突かれた時である。この時の対談はもしかしたら後者も相当するだけに、世間に向けて内情をバラ撒かれた怒りもあったのではないか…と思うのである。

かくいう自分はというと、まさにその通り「藝大講師」という肩書は非常にありがたかった。残念ながら日本の音楽界では、この方が「箔」が付くので便利なのである!しかしもしこれでオケが「管弦楽団」になるのなら、それにより「講師」という肩書が消えてもいいとさえ思っていた。それだけ部長と同じく外に飛び出したかった自分がいた。。。

とにかくこれを当時の楽員会理事達はこの抗議文を部長に提出。だが部長は(案の定)逆ギレして「言いたいことがあるなら個人的に言いに来い」と一蹴、過去の嫌な例もあるので結局楽員会側もこれで匙を投げ、この問題は有耶無耶になってしまった。

営業部長の思い描いた未来

そしてそれから26年。今やGフィルは周りのいろいろな人たちのお蔭もあって、結果的にM.A部長の思い描いた方向に進み、知名度も劇的に上がった。オケ連にも入ったし、当時危惧されていたモーニングコンサートも、依然として11時開演でも今や満員御礼の時もある。それらはとても喜ばしいことであるが、一方財政状況は当時のまま、いや寧ろ当時よりも悪い方向に進んでいる。

オケの規模も随分と縮小されてしまった事は、前記事の通りである。苦し紛れに作られたGフィルのホームページは改良に改良を重ねられたが、まだまだ地味だ。専門のクリエイターに管理してもらう金銭的余裕がないからだ。こんな現状を鑑みると、やっぱりあの対談に見られたネガティヴな空気感は、25年経っても未だに引きずっているような気がしてならない。

藝大フィルとの35年(その7)営業部長 はコメントを受け付けていません