オーケストラ,  藝フィルレポート

藝大フィルとの35年(その6)下に載っている上の人達

部長と運営委員会

藝大フィルは2017年に「日本オーケストラ連盟」の準会員となり、創立して120年以上も経ってから漸く他のプロオケの仲間にして貰えたが、他と決定的に違う点はまず国立大学に所属している事。そして事務局の他に「運営委員会」という組織がある事である。

藝フィルの公演プログラムを見ると、いつもメンバー表の下にくっついている面々である。

所謂教授准教授陣であるが、この人達が藝フィルをどう運営しているのか、35年在籍していて結局自分には理解できなかった。というのも、彼等にとっては担当科目の仕事の方が第一であり、Gフィルの運営までは気が回らず、せいぜい入団オーデイションの時に顔と口を出す位しか印象がなかったからである。

管弦楽研究部長と副部長もこの常勤の中から決まり、数年毎の任期で交代、投票等により選出される事になっている。

他のプロオケの「団長」若しくは「理事長」(?)に当たる訳だが、藝大オケの場合数年毎というのはかなり頻繁な交代である。そしてここで誰が部長・副部長になるかが、楽員達にとってはその後の演奏環境を大きく左右される事になるのであった。

自分が入団した頃からの歴代部長と、その印象や思い出について、ここに挙げておこう。

(〜1988)〜 部長Y.H氏(Vc)副部長C.T氏(Vn)&Y.M氏(Cl)

入団試験を受けて「合格」のお電話を下さった方だが、そのやりとりについては別記事「究極の選択」で記した。尚、副部長のC.T氏はコンマスも兼任しておられたが、誰よりも頻繁に遅刻し、技術的にも当時の楽員の顰蹙を買っていた。

1991〜 N.M氏(Vc) 副部長C.T氏(Vn)&Y.M氏(Cl)

部長だけが替わったのは、前任のY.H氏が急逝したからである。後任のN.M氏はとても穏やかな方で、新年度の楽員へのご挨拶が「本年度もよろしくいお願いします」とボソッと仰っただけというのが、妙に印象的だった。

だがしかし!こんなことがあった。

要するに昭和60年以降に入団した楽員は皆10年経ったらクビ、再雇用されてもそこからまた10年経ったらクビだよ〜という事だ。ここに根底にあった「藝大オケ不要論」がはっきりとした形で露呈した体であるが、誰が提唱したにせよ、最終的にはこのN.M部長が承認した文書なのである。

あの穏やかな先生が…と信じがたい事だが、とにかくこんな不当な雇用条件をオケの楽員側が易々と承諾する訳がない!その後運営委員会と話し合いの場を設定し、当然MUJ(日本音楽家ユニオン)にも訴えかけ、熾烈なバトルが繰り広げられた。

その結果この「10年」説は消えたが、その際に「規則」ではなく「申し合わせ」としてこのような文書を作成。

人事に関してはかなりフレキシブルな内容とも言える。何だか情けない茶番劇だったが、その結果こうして35年も在籍した自分がここにいる訳である。

1995~ M.A氏(Perc) 副部長J.S氏(Va)&K.M氏(Hr.)

この先生が部長だった4年間を「暗黒の時代」という楽員もいたが、自分はそこまで酷くは感じなかった。しかし人事については困った制度が設けられていた。

足りないパートの新メンバーについては(オーディション無しで)常勤の先生達が推薦して引っ張って来る形になった。但しその任期はたったの2年!2年経ったらクビなのである。何故2年かというと、3年以上雇用されると、たとえ非常勤講師でも継続を求める権利が発生するからだ。

これも上の「申し合わせ」がまんまと適用された形であろう。法律上は問題なくとも、2年間じっくり研鑽を積んだ挙句オケを離れるという事は、そのGフィル自体は全然成長しないという事だ。そんな事はちょっと考えれば誰でも解るだろうが、おそらく当時の運営陣は馬鹿なのではなく、本当にGフィルを少しずつ消滅させていこうとする輩がいた証拠である。

繰り返すが、これらの理不尽な決まりは、全て上から楽員にいきなり降ってくるのであった!

一方、丁度新奏楽堂が開館する時期だったので、部長は部長でオケを外部に向けて本当にアピールしようとしていた。しかしながらその方法を巡ってしばしば楽員だけでなく、他の運営委員にも反感を買っていた。その一部は別記事「営業部長」で記しておく。

1999〜 部長J.S氏(Va)副部長K.O氏(Vn)&Y.O氏(Ob)

それからまた部長がJ.S先生に代わったが、今度はオケに対する意識が劇的に変わった。そもそも楽員とのコミュニケーションが全然できていなかった事の対策として、ここで初めて「演奏委員会」を立ち上げた。これは楽員からセクション代表4人が選挙で選出され、部長・副部長と月イチ程度で意見交換していく会議である。自分もその代表を数年ほど務めたことがある。

先程の「2年」という制度も廃止され、足りないパートは正式にオーディションをして採用された。同時に例えば楽員のシーティングの管理等、締めるべき点は締めるようになった。自分が思うに、これまでで初めてGフィルを大切に思ってくれた方だった。因みにJ.S部長は先の「申し合わせ文H6.3.31」の存在を知らなかった。「何だこれは⁉︎こんな物は初めて見た」と憤慨していた。これで前任の部長と運営委員会は、必ずしも通じていた訳ではない事を確信した次第である。

2005〜 部長K.M氏(Hr)副部長K.M氏(Vn)&T.F氏(Perc)

K.M部長は新規就任する際にこんな挨拶をした。
この管弦楽部長は実は全ての先生が一番やりたくない仕事なんです
楽員一同唖然としたものだが、まあ無理もない、当時は丁度国立大学が「独立行政法人」化されて国の予算が大幅にカットされる中、如何にオケに予算を回していくか、その重積もあったと思う。あったと思うが、それにしても楽員に対してネガティヴな発言が多過ぎた。演奏会議の場で、当時のコンサートミストレスからクレームが浴びせられた事もあった。

2012〜 部長K.M氏(Vn)副部長N.T氏(Vn)&M.Y氏(Cl)

ここに来て初めて部長は自分よりも年下になった。学生時代からの1学年後輩で、いわばもう30年以上に渡る知人である。となると、部長の年上にあたる楽員もかなりいたせいか、その物腰は丁寧で丁重だった。前任者とは打って変わって、楽員の声を率先して聞こうという態度が窺われた。

時に奏楽堂ができて既に14年、特にモーニングコンサートは平日午前にも関わらず満員御礼が続いたりして、オケの知名度もかなり上がってきた。そこでこれまで無料だったモーニングを遂に有料化して、財源の足しとしたのは、このK.M部長の時であった。

そしてオケ連に加入
2016〜 部長K.K氏(Va)副部長N.T氏(Vn)&M.Y氏(Cl)

ここで藝フィルは「日本オーケストラ連盟」に準会員として加入。創立から129年も経って、漸く日本のプロオーケストラの仲間に入れたのだが、実際にそのために東奔西走していたのは部長よりも当時の学部長A.S先生だった。

話は逸れるが、「オケ連」に入るには、他のプロオケの推薦状なる物も必要らしい。A.S学部長はその為にあちこち頭を下げて回ったが、その際に彼とGフィルをボロクソにけなして「うちのシマを荒らすな」的に罵ったのが、かのTMSOだった。TMSOは上野の東京文化会館が本拠地だから、ご近所のGフィルに仕事を横取りされるものかと、セコい考えを露わにしたのだろう。そんな酷い扱いをしたA.S先生もかなり精神的に辛かったであろうと察する。

こういった「やっかみ」もあって、一筋縄では行かなかったという経緯を、後日K.K部長は報告してくれた。オケ連加入後は新しく「事務局」が創設されたので、K.K氏は「部長」から「楽団長」となり、同時に運営委員長を兼任することとなった。2人の副部長も「副委員長」に替わった。

2018〜 運営委員長S.K氏(Tb)副委員長K.N氏(Vc)&T.H氏(Hr)

自分の入団から既に30年!思うに、ここにきて漸くGフィルは色々な意味でまともなオケに近づいて来たなという印象である。しかし依然として藝大自体の財政は厳しく、Gフィルは恐らくリストラ候補の上位に上がっていたのだろう。何とか存続させるべく、事務局長は大変な努力を重ねていた。

さらに追い打ちをかけるように、世の中はコロナ禍に突入、定例総会等もリモートで開かれる中、任期を終える時の委員長S.K氏は、何か余程腹に据えかねる事があったのか、Gフィルに対してこの上ないネガティヴな暴言を発し、場の空気ならぬリモート画面を“凍らせ”た。仮に対面会議だったらああまで言えるかな?という程の捨てゼリフだった。しかも彼はこうも言い放った。「日本オーケストラ連盟は脱退すべきです」これには流石に自分も耳を疑った。先代があんなに死ぬような思いをして何とか加入を果たしたのに、易々と「抜けろ」と、よりによって委員長が発言するとは…。当然楽員の中にはこの発言に対して「謝罪と撤回を」といきり立つ人もいた。因みにこのS.K氏は元TMSOの団員であったという事実も、何だか皮肉な話である。

2021〜 運営委員長T.H氏(Hr)副委員長T.U氏(Vn)&H.M氏(Cl)

この委員長・副委員長は(当然)委員の中から選出される訳だが、その委員の中には依然として前委員長S.K氏が入っていたりする。「オケを円滑に運営していく」のが目的の組織だが、このようにこうしてこれまでの経緯を振り返ると、とても円滑に運営していく為の集まりとは思えなかった。こうして事務局の基盤が確立した現在では、大学と事務局と楽員のみで連携し、常勤による「運営委員会」は自分は最早不要と考える。

一方、本当に財政は窮地に立たされている。以前から唱えられていた「解体」「消滅」論は論外だが、もしかしたら本当に藝大フィルハーモニア管弦楽団は(N響のように)母体の外郭団体として独立していく時期に来ているのかも知れない。

藝大フィルとの35年(その6)下に載っている上の人達 はコメントを受け付けていません