オーケストラ,  藝フィルレポート

藝大フィルとの35年(その10)黄金時代の終わり

信じ難い“私物化”

昨年、元藝大フルート科教授のS.K先生が他界した。自分も大学院時代はお世話になったが、その当時は相当あちこちで活躍されて忙しかったせいか、自分がS.K先生のレッスンを受けたのはトータルでせいぜい4〜5回といったところか。退官されてもう十数年、激務によりかなり身体も壊してしまったらしい。

さて、Gフィルのフルートパートは1994年に首席のH.Kサンが退職してから2002年までの8年間、ずっと1人足りない状況が続いていた。現在の木管は2管編成だが、当時はフルート以外の木管セクションは3管、フルートだけが2管だった。S.K氏は運営委員会のメンバーでもあったから、とある場でお会いした際に、いいチャンスだと思ってフルートパートの補充オーディションをして貰えるよう、お願いしてみた。

しかしK先生は「フルートは大学院生が多いんだから、彼らをどんどん乗せればいいじゃない。彼等暇なんだから」とけんもほろろ。確かに当時のフルート科の大学院生はどういう訳か沢山居た。自分が院生だった頃はせいぜい1学年に1〜2人だったのが、その頃は3学年全体で9〜14人という大所帯だった。

それならばと、こちらも(常識の範囲内で)できるだけ降りて、その分彼等を乗せてあげていたのだが…ある時とんでもない事が発覚した。

K先生は自分のフルート科クラスの伴奏者を専属に雇い、そのオケで足りない1人分の給料をちゃっかりそちらに回していたのだった。当時のJ.S管弦楽部長をはじめ、教授会も運営委員会もカンカンに怒っていた。自分はというと、怒りよりは寧ろ驚きだった。K氏はこの藝大の中でなんて凄い権力の持ち主なんだろうという…。本来なら懲戒免職モノだろうが、とにかく様々なすったもんだがあって、漸くフルートはオーディションまで漕ぎ着けた。

歴代の“3人目”

そうして新しく入団してきた3人目の奏者は、案の定というべきか、長続きはせずに次々とこのオケに見切りをつけて途中で退職してしまった。理由は言わずもがなであろう。1人目は東京フィルへ、2人目は日本フィルへ移籍して行った。3人目はK先生がオーディションをしないで無理矢理ねじ込んできて、ここに来て再び「権力」を感じた次第であるが、自分としては最早反抗するのも面倒臭かった。それがT木である。オーディション無しだとこうも違うものなのか、そんな訳でオケではよく“落ちる”しピッチは合わないし、一緒に吹く度にハラハラさせられたものである。その3人目はK氏の退官後、その後釜を継がされて准教授となり、実質オケはそのまま退職となった。彼女本人も「オケは苦手だわ」と豪語していながら、運営委員として今やパートの人事に関与しているのだから、改めてこの集団、一体何なのか!?と呆れてものも言えない。

新しい“2人目”

入団時から33年間ずっと一緒だったパートナーOさんは、実はコロナでオーディションができなかった関係で、定年が半年だけ延びた。これも前年度の終わりに急に事務局に知らされた事だ。こういう大事な事は、少なくとも自分にはもっと早く連絡すべきだと思うのだが、とにかくあの不本意で屈辱的なオーディションを経て、Oさんの後任にA.Yが入ってきた。

A.Yは相当外で仕事をしているようで、自分に対しても「ここは降りたい」「ここは1st.で乗りたい」と色々希望を言ってくる。既に若い頃からかなりの曲とパートを経験してきた自分は、もう特にそういう欲はないので、100%彼女の希望通りにしてきた。ただ1回だけ、大好きな曲がプログラムのメインに入っていた定期があって、自分はそのソロを吹けるのを楽しみにし、結構前から練習していたのだが、突然「T木先生に1番を吹きなさいと言われましたので」と言われてその1st.を譲らざるを得ず、その時は流石にハラワタは煮えくりかえった。しかしここでゴネるのも大人気ないし、何より彼女の将来の為である。しかしながら今後自分が辞めた後のセクションの事を思い遣って、T木に横から勝手に乗り番に口を出さぬようクレームを入れた。

T木は「前回の定期では2番3番に乗っている時には聞きましたが、以降1番を乗る予定の定期演奏会だったものがことごとくキャンセルになった事を受け、団員の方々からも次の定期では1番を聴きたい、と意見もいただいておりましたので、4月は必ず1番に乗りなさい、と指示しておりました。センターの方にも、そのあたりは湯本さんがしっかりと割り振りをしてくださるはずだから大丈夫ですよ、とも言われていたので、安心して本人に連絡したままで終わらせておりました。試用期間中ラストの定期ですので、どうぞご配慮の程よろしくお願い申し上げます」と、一見すると丁重に見える返信を送ってきた。これも元はといえば、運営委員会とのコミュニケーション不足によるものである。何にせよA.YがT木の“手下化”しているのは、まだ彼女が入りたてだから仕方がないかも知れない。まあそのうち実態が見えてくるだろうが、もう自分の知った事ではない。因みにメールにある「定期演奏会だったものがことごとくキャンセルになった」事はただの一度もない。何も解っていない証拠だ。

そうしてA.Yの試用期間が終わり、楽員による信任投票が行われた。結果は「信任52票/不信任5票」で本採用となったが、この5票の中に自分の票が入っている事はいうまでもない。

この自分の読みはやはり結構当たっていて、その後の自分の耳に入る彼女の評判はあまり芳しいものではなかった。彼女が乗りたい、吹きたいと言うので吹いてもらった1st.パートは、楽員のみならずお客さんからも悉く酷評が聞こえてきた。まあ、前任者があれだけ素晴らしかったから無理もないし、若い時はほぼ誰しも経験する事である。自分だって嘗て知らないところで周りの顰蹙を買っていたし、彼女もこれから頑張っていけば良い事ではあるが、近い将来は歴代の“3人目”と同じ事になっていくような気がする。

こうして鑑みると、自分の入団した1988年から2006年位までと、2009年から2021年までのフルートセクションは、いうなれば『黄金時代』であったなァと思う。特に後半のOさんとの2管体制の時は最高だった。次の黄金時代はいつになるのだろう?そしてそれまでGフィル自体が存続しているかどうか…。