オーケストラ,  藝フィルレポート

藝大フィルとの35年(その2)究極の選択

他のプロオーケストラは今や65歳まで延長雇用が可能だし、藝大内でも例えば常勤クラスや、非常勤講師は67歳位まで在籍できる。

だが、藝フィルは60歳でクビ。契約は1年ごとの更新で、社会保険も厚生年金も福利厚生も何にも無し。生活が保証される程の退職金も当然貰えない。要するに35年間ずっと「パートタイマー」だった訳で、60歳以降は乗り番のローテーションから外される。ただそれだけである。

だがしかし、自分が入団した時の募集要項の内容はもっと酷く「雇用期間は10年のみ」とされていた。新人が10年間頑張って漸く一端のオケマンになってきたところで辞めさせるオケなんて、いいサウンドになる訳がないだろう、、、という訳で、自分が入団して間もなくこの申し合わせは消えた。ところが!この雇用形態が突然復活しかけた事件があったが、これについては別記事で記そう。

この募集要項を見て引いた人も多いのか、はたまたちゃんとオーディションが広報されていなかったのか、その時の応募者はかなり少なかったと思う。一次選考は常勤の先生方の前でプロコフィエフのソナタなど演奏して二次(本選考)に進む3人のうちの1人になれた。あとのお二方は自分より2〜3学年上の先輩だった。

究極の二択

さてところで、この時自分はもうひとつのオーディションを受けていた。この度新しく創立されるという「オーケストラアンサンブル金沢」のメンバー募集である。音楽界は狭いから、自分が受けていたという事は、すぐに芸大にも知れ渡っていて、そうして当時の芸大オケの部長:H先生から電話がかかってきた。

「君は金沢のオケも受けているようだが、両方受かったらどうするの?」当然自分は「芸大オケを選びます」と言う他ない。それならば、という訳で自分はこの時採用となった。実際、行った事もない地方でこれから作るオケなんて不安だらけである。いわば自分は“保険”のつもりで受けていたので、先に受かった在京の芸大オケに入団する事を決めた。その時は嬉しかった、というよりホッとした感があった。

ところが皮肉なもので、それから間もなくしてこんな通知が。

金沢のオケも受かってしまった。

この究極の二択で、結局自分は先に受かった芸大オケを選んだ訳だが、これについてその後芸大教授の方達のご意見も様々だったようだ。

それから十年程経ってからだが、
「君が芸大オケを選んだのは正解だと思う。やっぱり広く音楽活動をしていくには東京が一番」(M教授)
何でそんな勿体無い事をしたの?こんなオケなんかに入っちゃって」(S教授)

…確かに藝フィルは当時から存続が危ぶまれ続けていて、先述のように年収も激安。とても生活はできない額。一方アンサンブル金沢は(一瞬経営危機とかはあったものの)今や相当年収は高く保障等もしっかりしている。

果たしてどちらが良かったのか?こればかりは本当に判らない。今は藝フィルに入った事に後悔もしているが、かといってもし金沢に行っていたら、それはそれで多分「東京にいれば良かったな」的な、何某かの後悔の念もあったかもしれないし。。。。

時は戻らないのである。

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