オーケストラ,  藝フィルレポート

藝大フィルとの35年(その3)飽和状態

Gフィルは他のプロオケに比べるとかなり稼働時間は少なく、基本は1シリーズあたり週3回、月・水・木曜日の午前中のみ。これはモーニングコンサートと指揮科関係のスケジュールで、定期演奏会やオペラ公演・また他の特別演奏会ともなると、もう少し時間帯や日程は広がってくる。だが殆どの公演のスケジュールパターンは大体決まってくる。

そのプログラムで圧倒的に多いのは「協奏曲」で、次に意外と多いのが「現代音楽」だ。これも大学に所属する教育機関としてのオケ故であろう。とにかく入団から退職までの自分の出演歴は下記の通りだが、演奏する“悦び”とか“幸せ”とかを感じたことは果たしてどの位あっただろう…。

定期演奏会…130公演

この他に大学院時代に5回乗っているので、それも合わせると135回になる。計37年も吹いていた割には、定期公演としては他のプロオケよりも遥かに少ない数字だが、これはGフィルの定期公演自体が年4回しか開催されないからである。
先ず年度初めに優秀な成績で卒業した各科の代表4〜5名が、オケをバックにソロを弾いたり歌ったり、オケの新作を発表したり、指揮をしたりする「新卒生紹介定期」(4〜6月)次にGフィル独自の「前期定期」(5〜6月)「後期定期」(10〜11月)そして声楽科学生をバックに合唱付きの宗教曲等を演奏する「合唱定期」(11月)。

新人紹介定期に選ばれた卒業生にとっては、このコンサートの出演は名誉な事かも知れないが、実際出演料が出るかどうかは不明である。その昔はノーギャラで、それどころか1人当たり100枚位のチケットを捌かなくてはならなかった(今もそうかも知れない)。前期&後期でもたまに常勤の先生方がソリストとして、中プロの協奏曲に出演するが、彼等も日々の給料内での活動なので、皆ものの見事に無料で演奏している。タダで弾いてくれて有り難いとは思うが、いやその前にG大(もしくは国?)は別途出演料を支払うべきだと思うのだが。指揮者も常勤の先生が振る場合は無料で、外から招く場合もかなり割安。これで次回からは二度と振りに来なくなった人もいる。

一貫して財政状況がかなりヤバいので、おいそれと大編成モノはできない。エキストラは教員・学生をどんどん注ぎ込んで、とにかくタダで演奏してもらう。因みに100周年の「グレの歌」でも、当時の若杉氏は無料で振ってくれたとか。。。

勿論Gフィルはこれらの人員投与に対して何の文句も言えないが、ただやっぱり財政の厳しさからこのような現状がずっと続いてくると、どこからか「不要論」も湧いてくるだろうなと思うのである。実際エキストラの学生達のレヴェルも中々高いので、それがまた拍車をかける事にもなっているのでは…。

だがとりあえず「金」の話はさておき、結局こうなるとどうしても小中規模の編成の曲という事になり、そろそろ「藝大フィルハーモニア室内管弦楽団」と改名しそうな空気である。オケ内では10年位前から「プログラム委員会」というのができて、次期定演の曲目を練ってきているが、特にコロナ禍以降は「密」だからと大編成は避けるようになった。自分などは同委員会にホルストの「惑星」を再三推してきたのだが、そんな訳で悉く却下された。もっと大きな「春の祭典」など、既に平気で演奏している他のオケが羨ましく感じられたものである。

オペラ…28公演

35年間で自分は7回降板している計算になるが、所謂年1回2日間公演のオペラ定期の他に特別公演もあるので、実際はもっと出演している。演目だが、28回中20回がモーツァルトだ。「ティトの慈悲」が2回・「ドンジョヴァンニ」が2回・「イドメネオ」が2回・「フィガロの結婚」が4回・「魔笛」が4回・そして「コシファントゥッテ」が6回!

何故こんなにモーツァルトばっかりやるのか?それはキャストが多いからである。キャストが多いと、それだけ学生が多く参加できる。つまりオペラ公演は藝大のオペラ科の教員・学生が一体となって披露するいわば研究発表会な訳で、モーツァルトの他にも例えばニコライの「ウィンザーの陽気な女房達」ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」プッチーニの「ラボエーム」などはやるが、ワーグナーの楽劇やJシュトラウスの喜歌劇などは絶対にやらない。

幾ら天上の名曲とはいえ、こうもモーツァルトばかり続くのでは、オケとしてはたまったものではない。ましてや「コシファン…」は、確かにもの凄く勉強にはなるが、周知の通りの胸糞悪いストーリー。加えてオケも色々な意味で辛い。例えば管楽器の2nd奏者や金管打楽器などは恐ろしく出番が少ないのでジーッと座って待っていなければならないし、逆に2ndヴァイオリンなどは終始細かい音符を弾き続ける…ある年などはオペラ科の部長が最初の挨拶で「またコシファンでどうもスミマセン」といきなり謝っていた。

藝大に新奏楽堂ができる前は、このオペラシリーズは芝にあるメルパルクホール(郵便貯金ホール)で開催されていた。9月に入ると毎週オペラ科の狭い部屋で繰り返し繰り返しリハーサルが行われ、月末の3日間で2組分のゲネプロと本番が一気に行われる。1990年代前半までは日本語字幕がなかったので、物語の詳細は「?」のままだったが、その後漸く字幕が登場。初期は文字通り字「幕」で、セリフが帯状の布幕に書かれていて、それが「ザザァーッ」と音を立てて流れる涙ぐましい装置だったが、やがて電光掲示板になり現在に至った。これも最初の頃はよく「文字化け」を起こし「※△@◎Ω」などと表示されては、周囲の苦笑を買っていたものだ。

そのメルパルクホールで、盗難事件が発生した事もある。1994年の「フィガロ」のG.Pと本番の間で、楽員やエキストラが現金や衣装を盗まれ、当時の舞台裏セキュリティがいかに甘かったかが窺える。

1回だけ、会場がすみだトリフォニーホールだったが、その時上演された「魔笛」では、背景が「宇宙」という演出。3人の侍女はライトセーバーを振り翳し、円谷プロから借りた怪獣の着ぐるみ(ピグモン・レッドキング・バルタン星人)が登場して会場を沸かせた。また純和風の大江戸捕物帳に仕立てた(個人的には大失敗演出の)「ウィンザー」や、時代背景を現代とした「ドン・ジョヴァンニ」も印象に残っているが、結局その辺は元の鞘に収まったようだ。

ところでまた「金」の話になってしまうが、案の定というべきか、得てして藝大オペラは舞台セットが比較的貧相だ。「とりあえず物語に必要な背景さえあれば良い」みたいなセットを見ると、本格的なそれにはやっぱり相当の金額がかかってしまうのだろうと察する。会場が新奏楽堂に移ってからもそれは相変わらずであったが、もともとコンサート用に作られたホールでオペラのセットを組むのは、かなり困難という別の事情もあるかも知れない。現在、入場料は4,000〜5,000千円とオペラにしては安価なので、会場は超満員。まだまだ「発表会」レヴェルだと、これ以上チケット料金も上げられないのだろうと察するが、多少値が張っても1ぺん位は本格的な舞台セットを組んでも良かったのでは。。。

モーニングコンサート…317公演

これも大学院時代に乗った3公演を合わせると320になる。だが一方、降りた公演数も35年間で97に上り、このモーニングだけで多分トータル200万円分位は“有給”を取っていた訳だ。自分がオケの中で“伴奏”した学生ソリストと、新曲を発表した作曲科学生の総数は564人にも登る。その中には現在国内外のトッププレーヤーとして目覚ましい活躍をしている人も沢山いるし、Gフィルのメンバーになっている人もいる。何を隠そう、自分も学生時代にソリストとして出演し、モーツァルトの協奏曲第1番を吹いている。

ソリストに選ばれた学生はどんな曲を演奏するか?それは大きく“ベタ”と“マニアック”に分けられる。“ベタ”は所謂定番の事で、ピアノならベートーヴェン・ラフマニノフ・プロコフィエフetc…ヴァイオリンならブラームス・チャイコフスキー・メンデルスゾーンetc…チェロならドヴォルザーク・エルガーetc…

マニアックの方は、いや実に珍しい曲が出てくるもので、例えばアッペルモンド作曲「カラーズ」(Tb.)・ブルジョワ作曲Tb.協・クーゼヴィツキ作曲Cb.協・コッコネン作曲Vc.協・ジョンゲン作曲Org.協・エスケシュ作曲Org.協・セロツキ作曲Tb.協・デザンクロ作曲「祈祷,呪詛,踊り」(Tp)・ゲティケ作曲Hr.協・ロサウロ作曲「狂詩曲」(Perc.)…とにかくキリがない。その専門楽器界では有名な曲かも知れないが、自分にとっては「誰??」という作曲者ばかり。お蔭でなかなか貴重な体験をした。で、その中身といえば、ものの見事に一節も思い出せないが。。。

そしてもう一方、ベタな曲で一番回数が多かったのがブラームスのヴァイオリン協奏曲で、定期も含めると22回。これにはあるエピソードがあって、まだ自分が大学院生だった頃に急に呼び出されていきなり1st.を吹かされた事がある。楽員側の手違いでそこが空席になってしまったらしい。実はかなりプレッシャーのかかるパートで、四苦八苦しているうちにその時のコンマス田中千賀士に名指しで叱られたりして、その時はトラウマ級に怖い曲となってしまった。今はもう自分もすっかり図々しくなったので(笑)別にもうなんて事なく吹けるが、一般的には傑作中の傑作でも、個人的には大嫌いな曲なのである。理由はこのトラウマのせいではなく、単純にやり過ぎて飽きたからだ。

年度末には次年度のモーニングコンサートのスケジュールと曲目一覧がバッと発表されるが、その中でこのブラームスVn.協や、他にもラフマニノフやプロコフィエフのPf.協という曲目を目にする度に「またか〜」と心底辟易したものだ。酷い時は1シーズン中に違う学生で2回も3回も同じ曲をやらされる。他の楽員の人達はよく黙々と演奏を続けられるなと、畏敬の念を持って眺めている。自分などは最早初日のリハで冒頭を聴いただけで発狂しそうになるのだが、あくまでもこれは学生の希望が優先なので、ここは何も言わずに耐えるのみである。

排出した指揮科学生…77名

“教育オーケストラ”は指揮科の学生の相手も務めなければならない。実技試験や卒業演奏会などで実際にGフィルを振り、教官や楽員などからアドヴァイスを受ける。その総数はこれまでで77名。一学年につき2人位しか入れない超狭き門だけに、さぞかし優秀な学生が指揮台に立つのかなと思いきや…これも悉く裏切られて35年。だが実は彼らは卒業後にグンと成長するので、一般的に“遅咲き”の科なのである。実際、卒業してから飛躍的に活躍している指揮者は沢山いる。近年は女性の指揮者も結構増えてきた。

ここで採り上げられる曲もある程度は限られてくる。年度末の試験では時間的制約があるので、交響曲も抜粋となる。公開試験や卒業&終了演奏会では交響曲は大体全曲演奏されるが、となると例えば2人の卒業生がそれぞれ大曲を持ってくると、モーニングコンサートと同じ11時〜12時15分からの枠には入り切らずに、オーバーする場合もある。若気の至りで、こんな無謀なプログラムで我々大人を疲労させるのはまだ仕方ないが、それよりもリハーサルが前日までにそれぞれ2時間半ずつしか与えられないので、結局消化不良のまま本番を迎えることもしばしば。

圧倒的に人気なのはストラヴィンスキーの「火の鳥」で、77人中11人が卒演・修演でこれを選曲、次にチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」やリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドンファン」「死と変容」あたりか。自分などはまた例によって「また火の鳥かよ〜」なんて顔が曇っていたが。

そしてこのテの本番はお客さんも少なく、オケより多い客入りは一度たりとも見た事がない。折角立派な奏楽堂でやるのに、多分学生達は集客の事までは頭が回らないのであろうし、大学や教官達も当然そんなところまで気を遣う訳がない。かなり盛り上がるクライマックスを終えても「パラパラ…」とまばらな拍手。「コンサート」という「空間」を作りあげる重要さに彼らは気づいていない。つくづく演奏する方もやるせない気分になるものだが、これもいうなればGフィルの宿命みたいなものであろう。

演奏芸術センターができて

上記の「定期」「オペラ」「モーニング」「指揮科」は昔から管弦楽研究部本来の仕事として、もう何十年も続いてきた訳だが、そんな訳で演奏する側にとっては毎年毎年毎年毎年ほぼ同じような曲ばっかりやっているオケだった。しかし1997年に美術学部との共同機関「演奏芸術センター」が開設されてからは、それでも次第にプログラムの幅が広がってきたか。ここの教授で副学長も務めた松下功先生の働きぶりが凄かった。先生はアジアをはじめ、各国から様々な奏者〜特に何らかの障がいを持つ演奏家を招いてきては「障がいとアート」という企画を開催したり、アジアの民族音楽との融合的企画等、Gフィルに様々な演奏機会を与えてくれた。嘗てのラディカルなM.A部長は自らを「営業部長」と称したが、松下先生の方がよっぽど営業に長けていたかも知れない。あのGフィル初の海外旅行:南米チリ公演の立役者も彼だったし、2018年位までは松下先生のお蔭で有意義な経験もできた。思えばこの辺りが自分にとって一番充実していたかも知れない。

ところが全く不運な事に、松下先生はその2018年に急逝してしまった。その翌年から先生の活動が引き継がれる様子もなく、単純にGフィルも仕事は減った。追い討ちをかけるようにコロナ禍となり、周囲の音楽界が再び活気を取り戻し始める中でもGフィルはひっそりとしたまま。こんな状況に松下先生はきっと天国で手をこまねいているだろう。

今年はそれでも早々に地方公演(新潟県)が入り、普段殆どやらないJ.シュトラウスのワルツ集などできたのは楽しかった。地方公演はその後も少しずつ入り、コロナで延び延びになっていたアルゼンチン公演もようやく実現しそうである。せいぜい無事に帰ってきて欲しいものである。

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