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自分と沖縄の50年

丁度50年前の一昨日、1972年5月13日(土)、小学校4年生だった時の「帰りの会」(ホームルーム)で、担任のU先生がこう仰った。

「来週月曜日は沖縄返還のため、学校の授業は午前中で終わりです。」

オキナワヘンカンって何?…よく解らなかったが、とにかく“半ドン”なのは嬉しかった記憶がある。

沖縄

沖縄。自分はこれまで仕事や旅行で何度か行った事がある。最初に訪れたのはその返還から20年余り経った頃、確か名護市で「蝶々夫人」を吹いたと思う。当時まだ東フィルと合併する前の「新星日響」というオケだったが、参加してみたらメンバーはものの見事に総てエキストラだったという、あり得ない状況。

折角沖縄まで来たのだからと、公演の合間に郷土料理を味わいに…がしかし、そのトップバッターがヤギの刺身とか煮込みだったので、一種のカルチャーショックを味わった次第である。だが一方、魚類は美味しかった。イラブチやグルクン等、名前も見た目も特徴的なのに、癖がなくてとても爽やかな味。他にも、今ではお馴染みの「ソーキそば」「ラフテー」「チャンプルー」「豆腐窯」などに初めて出会い、あまりの美味しさにグンと体重が増えて帰って来た。

それからまた10年程経って、今度は家族旅行で2度訪れた。「蝶々夫人」の時は春先だったが、今度は真夏。当然海水浴を楽しむ。沖縄本島からフェリーに乗って慶良間諸島の美しい海に潜ったり、本島では「美ら海水族館」「おきなわワールド」「首里城」など巡ったり。思い切り沖縄の夏を堪能して来た。

渡嘉敷島にて
首里城。この後残念ながら2019年に焼失。

それから更に10年、今度は諸用で琉球大学へ。1月なのに桜が咲いていた(尤も本土とは違う種類の赤い桜だ)。その際に同時に訪れたのは「ひめゆり平和祈念資料館」と「旧海軍司令部壕」。

大変恥ずかしながら、これまでの訪問ではあまり気には留めていなかった沖縄のとても辛く悲しい一面をこの時初めて身をもって知り、「オキナワヘンカン」という言葉の持つ深い深い意味を、あれから40年も経って漸く理解した次第である。

関連記事:ひめゆり(旧ブログ 2013-1-11)

琉球大学の先生が仰るには、沖縄はスコール(暴風雨)も激しい時は激しく、移動には車が不可欠との事。そういえば台風って、その進路に関わらずその起点は必ずこの近辺だなと思うと、やはり自分はその生まれ育った時代といい土地といい(←晴天率の高い埼玉)実に恵まれているなと、つくづく思うのである。

最後に「古酒」(クースー)について。

そういえば最初の名護市にて、10年ものの古酒を買ったが、店のオヤジ曰く「これを飲まずにとっといてまた10年経てば20年モノ、また10年経てば30年モノになって更に美味しくなって価値も上がるサ」との事。

…で、気づけばもうあれからそろそろ30年経とうとしているではないか。勿論飲まずに、まだある。40年モノだ!

本当にそうなのか?誰か教えてほしい。

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