ソロ・アンサンブル,  作曲家・作品

大フーガ

これまで、リサイタルや録音でふんだんに弦楽器の曲を採り上げ、また編曲の仕事でも、時折弦楽器用のそれを依頼される等、自分と弦楽器の関わりは深い。そんな中、嘗てのクラスメイト達が仲間内で弦楽四重奏団を結成し、ベートーヴェンのカルテット全曲を制覇しようという試みをしているので、早速そのコンサートに足を運んだ。

「クレイオ弦楽四重奏団」というそのグループは、4人中3人が自分と同級生、1人はメンバーの妹さんである。2019年からこのシリーズを始めているようで、コロナによる延期もあったが、この度めでたく再開、しかも今回は自分がとりわけ好きな第13番「大フーガ付」をやるというではないか!生でこれが聴けるとは…、とても楽しみにしていた。

ベートーヴェン作曲 弦楽四重奏曲第13番「大フーガ付」

弦楽四重奏は室内楽の最も基本的且つ芸術性の高い編成であり、それ故作曲家の能力やセンスが一発で判ってしまう、もの凄くシビアなジャンルなのである。そんな中、ハイドン・モーツァルトからショスタコーヴィッチ近辺まで、とにかく「流石!」と唸る作品が数あれど、自分は特にこの「大フーガ」が抜きん出た傑作だと思っている。しかしながらその内容はかなり難解で長ったらしく、ベートーヴェンさんは聴く人の気持ちはあまり考えていないようだ(笑)

さて、このシリーズはベートーヴェンの弦四を2曲ずつ採り上げているだけに、この13番がデン!と来ちゃうとそのカップリングはなかなか気を遣うであろうと察する。例えるなら、第九の前プロに他のシンフォニーを付けるようなものだ。お客さんは喜ぶが、奏者は大変であろう。今回は第11番へ短調「セリオーソ」と組み合わせていたが、こちらもその副題通りかなりシビアな雰囲気の曲で、つくづく弦楽器奏者ってタフだなあと思う。

そして後半の“本プロ”は、RPGのラスボスに真っ向から立ち向かう4人のパーティーよろしく、かなり攻めていった感じがなかなか印象的、ただやはり第2楽章プレストでの“戦い”の疲れが、次のアンダンテのテクニカルな動きの攻略に出たかなという感じで、ちょっとアンサンブルが危なっかしかったか。

そして最後に現れるは、例えるならラスボスの“第3形態”。この部分は聴いていると最早「弦四」という感じがしない。オケ曲のようなもの凄いスケールのフーガだ。見事に弾き切った奏者達の「やり遂げたぞ」的な表情は、とても感動的であった。

「大フーガ」はベートーヴェン晩年の作品だが、仮に何の知識もなく聴いていても、何ていうか…ある意味人生を大分長く経験してきた人が作り、演奏し、そして聴くのにマッチした曲だなと思うのである。自分にとっても、まさに「旬」の曲なんだなという感じがした。とても良いコンサートだった。

残念なホール

とても良いコンサートだったが、何だか残念な点がひとつ。それはこのホールだ。

これは舞台の上部だが、とても美しくて響きも良く、小規模のコンサートには申し分ない空間である。このコロナ禍、こうした小さなホールでは、それなりに感染防止対策も徹底しているのだろう。とはいえ…

今回は「チケット」というものがなく、事前予約制。当日の精算も行わないので、入場料は完全振込制だ。演奏者への贈り物はおろか、終了後の面会すら許されない

このホールはビルの4Fにあるが、先ず1F入口のエントランスの時点で検温とアルコール消毒がある。更には次亜塩素酸ナトリウムが含ませてあるシートの上で2〜3回足踏みさせられる。靴裏の消毒にはあるが、同時に漂白作用もあるので、靴によっては注意しなければならない。こんな事は初めてだが、ここまではまだぎりぎり容認できる。

エレベーターから出て会場に行く前に、一旦座席を確保したらもう一度洗面所で手を洗うよう指示される。さっきアルコール消毒したのに、まただ。洗面所とはいっても個室トイレに備え付けの洗面台なので、半ば強制的に2室しかないトイレに入らされる形となり、狭い通路には自ずと行列ができて“密”になる。

極め付けは休憩時間だ。何とお客は全員一旦退出させられる。空気の入れ替えだそうだ。そんなのは人が居たってできるのに。で、無理やり移動させられた先が最悪だった。テラス付きのカフェとはいうが、さっきのホールの半分もない狭さで窓も小さく、しかも皆一斉におしゃべりし始めて最早小池都知事も怒り出しそうなレヴェル。ガラスには直射日光が当たって温度も上がり、空気が澱んでくるのが目に見えそうだった。

ホール側としては、1人の感染者も出させまいとする意気込みかも知れないが、こんな超密状態ではどんなに手足を消毒させても意味が無い。こんな目に遭わされたお客は多分今日だけではなく、他の日にも何十人何百人といるかと思うと、結局ここで、この場所で新型コロナウィルスに「感染経路不明」で感染した人も絶対いると思う。

このサロンの管理者は多分頭が悪いのだろう。だが、折角のコンサートの余韻を台無しにしたくないので、自分は黙っていたし、他のお客さんもそうだったに違いない。しかしながら、次回会場がまたここなら足を運ぼうかどうしようか、躊躇してしまう人も少なくないのではないか。

少なくとも自分のコンサートでは、ここは絶対に借りないつもりである。