思い出, 日常・趣味 寅さん 2022年5月2日 / 生まれて初めて葛飾区柴又を散策してみた。折りしも連休の合間の平日で、思った程人出はなく、のんびりと巡る事ができた。柴又といえば「寅さん」であろう。映画「男はつらいよ」シリーズは子供の頃から(TVでだが)よく観ていた。確か毎年の正月の定番映画だったと思う。最近はこのシリーズ全48作が、ネット配信で観る事ができる。自分もたまにダウンロードしては、笑ったり泣いたりしながら観ている。主人公役の渥美清さんは既に1996年にこの世を去り、時代はどんどん変化しながらも、まだまだこのシリーズのファンは多いと思う。自分も結局その1人かも知れない。ここに来て映画にあった風景を実際目の当たりにしては、今更ながらノスタルジーに浸っていた。 京成柴又駅 まず柴又の駅を降り立った時点で感動している。兄と妹の涙の別れが何度も撮影されたホームだ。既にホームの柱にはそんなゆかりのあるパネル写真が貼られていて、その一枚一枚をじっくり見つめる自分。電車を降りてから改札を出るまでにこんなに時間をかけた事はあまりないと思う。 帝釈天題経寺とその参道 寅さんが産湯に浸かったとされる柴又帝釈天(題経寺)には、思っていたよりもすぐ着いた。ひょっこりあの佐藤蛾次郎さん扮する「源ちゃん」や笠智衆さん扮する「御前様」が現れそうな雰囲気だが、それよりもここでは、本堂の外観にびっしりと彫られた法華経の説話を再現した彫刻に圧倒された。またその裏には「邃渓園」(すいけいえん)と名付けられた日本庭園が広がっていて、こちらもまた見事であった。 駅から帝釈天までの参道もお馴染みである。いろいろなドタバタのシーンを思い出す。今でもふと寅さんが現れて「よう〇〇、相変わらずバカか?」というお決まりの文句が聞こえて来そうである。そしてそんな中、あの店があった。「とらや」である。現在は普通の庶民的な飲食店で、店頭にはちゃんと草団子も売っている。この店は最初の何作かを実際に「くるまや」のロケとして使ったそうだ。早速中で昼食を摂る。ここでも外を見れば、久しぶりに帰って来た寅さんが照れ臭そうにふと店内を覗きそうな雰囲気であった。…会計は電子マネーが使えた。ふと現実に戻る瞬間である。 寅さん記念館と山田洋次ミュージアム 帝釈天の側道を歩いていくと、江戸川に差し掛かるが、その手前にあるのがこの葛飾区観光文化センターである。「くるまや」と、その裏手にあるタコ社長の経営する印刷工場等のセットが展示され、全48作のマドンナ一覧、その他諸々、まさにこの「男はつらいよ」シリーズの世界が愉しめる。一方、寅さんといえばあのテーマ音楽もすっかりお馴染みだが、作曲者:山本直純氏の自筆譜が「山田洋次ミュージアム」の中に展示されていたのも印象的であった。ナオズミさんの棒には自分も何度か遭遇した事があるが、小柄な身体を駆使して豪快に振っていたのを憶えている。残念ながら彼もまた20年前にこの世を去ってしまったが、もしもご存命であったら昨年の東京五輪あたりで何か新作を聞く事ができたかも知れない。 江戸川河川敷と矢切の渡し 寅さんがよくマドンナと散歩したこの河川敷を最後に歩いてみたが、東京都なのにとても清々しい所だ。現在は綺麗に舗装され、すぐ脇には幹線道路が走って車の往来も多く、時代の流れをここでも感じる。この日は晴れていたが、関東地方は午後から所により雷雨との予報。ふと空を見ると、遠くに黒い雲が見えているので、流石に矢切の渡しまで足を運ぶのは止めて、引き返すことにした。寅さんシリーズの舞台はご存知の通り葛飾区柴又のみならず、日本全国・強いては海外にさえ飛んでいる。柴又一帯はやはり小さな所なので、ひと通り回ってもそんなに時間はかからないのだ。半日程度の散歩には丁度良い感じの、とても手頃な街であった。それにやっぱり団子が(特に草団子が)美味しかった。 余談だが、嘗て自分の母が病気で入院していた時、その院内で母は渥美清さんと遭遇し、挨拶も交わした事がある。何でも渥美さんのお父様が当時同じ病院に入院していて、そのお見舞いの際に、母にもお見舞いの言葉をかけてくれたそうな。とても丁寧で紳士的な方だった、と母は言っていた。さしずめあの「わたくし、生まれも育ちも〜」と始まる映画の冒頭と同じ口調だったのかなと想像しては、ついクスリと笑ってしまうのである。