星になったサウスリバー
悪夢のようなLINE
TIBIA木管五重奏団の還暦ライヴから早3年。このコンサートをきっかけに立ち上がったTIBIAのLINEグループは、本番が終わってからも時々交信していた。お互いの近況・コンサートの案内・そして思い出話等、忘れた頃にフッと通知が来ては、それなりに盛り上がっていた。
そんな今年5月の或る日、メンバーの1人でクラリネットの南川君からショックなLINEが。体調が悪くて検査したら癌だったとの事。しかも余命数ヶ月しかないとの事。ちょ…おま…なんて事だ!冗談だろ?と悪夢でも見ている様な気分で「未だ早過ぎる!嘘だと言ってくれ」と返したが「残念ながら嘘じゃない」と返って来た。
この事実は別の友人のSNSから瞬く間に広まった。とにかく山形の自宅へお見舞いに行き、顔を見て、何とか彼を励ましてやりたいという思いが、先輩・同期・後輩の間で駆け巡る。そして当然我々TIBIAの仲間達も。
唯一無二の親友
6月末日、かくして我々4人は早速スケジュールを合わせて南川家へ。彼は鼻から酸素吸入を受けながらベットに横たわっていた。かといって苦しそう・辛そうといった状況でもなく、容体は割と安定している様子であった。時折皆で大笑いしながら、学生時代〜そしてその後のTIBIAの思い出に花を咲かせていた。
今年の夏は特に激暑であった。この後7〜9月いっぱい、日本列島は熱波に包まれた。常人でもバテるのに、南川君にとっては尚更だったかも知れない。奥様からの情報によると、次第に体は衰弱し、固形物が食べられなくなり、そして激痛にも見舞われるようになってきたそうだ。また会いに行きたい気持ちはあるが、今度は勝手が違う。どうしたものかと手を拱いていた11月の或る日、
「南川君、亡くなりました」とのLINEが。。。
…そうか、旅立ってしまったか…自分でも不思議な位、気分は冷静であった。無意識のうちに、来るべきこの日に向けての覚悟ができていたからかも知れない。個人の意向で葬儀はせず、翌々日に直葬・火葬と聞き、兎に角荼毘に付される前に彼に会いに行かなくてはと、矢も盾もたまらず新幹線に飛び乗った。
夏に来た時とは打って変わり、山形はひんやりとした空気に包まれ、雪も所々積もっていた。南川家に到着し、夏に談笑したあの部屋に入って見ると、奥様・親族の方々・友人後輩に見守られながら、彼は燕尾服を着て安らかに眠っていた。
奥様曰く、彼は相当身体は衰弱しながらも、痛み止めの薬のお蔭で大分落ち着いていたそうな。ところが11月17日の午後、急に苦しみ出して奥さんに徐に抱きつき、そのままフッと逝ってしまったという。そんな、急に思い出したように逝ってしまうなんて…、でも最愛の奥様の腕の中で息を引き取ったのか…。
芸大時代から、そして卒業して40年たった今でも、TIBIAの仲間は大切な大切な唯一無二の親友である。その仲間を1人失った。もう一生この5人では、アンサンブルしたくてもできないのだ。生きとし生けるものが必ず辿り着く宿命とはいえ、そう簡単には受け入れられない自分がいる。やっぱり声を大にしてこう叫びたい。
「サウス!バカヤロウ!何故死んだ!?」と。
サウスリバー
これは自分だけが呼んでいた彼のあだ名である。つまり「南の川」の英語読みだ。ちなみに自分は若い頃から同期生には「ジーさん」と呼ばれていた。なので「なあ、サウス」「何?ジーさん」てな具合に、極めて自然に呼び合っていた仲だ。
サウスはTIBIAの中では一番早く、9月に生まれた。名古屋出身で、大学入学後は当時は練馬区にあった学生寮に住んでいた。今でこそ話せるが、当時の彼はあまり風呂も入らず部屋も“ゴミ屋敷”状態、その不衛生ぶりは仲間内でも知られていた。しかも自分は酔っ払ってその部屋に何度か泊まり込んだりしたものだから、これまた話題となったりした。「湯本よくあの部屋に泊まれたな」と。
しかも大酒飲みでタバコもスパスパ吸い、授業もレッスンもよくサボり、試験やコンサート等の本番では「緊張しちゃうから」と時折“アルコールの力”を借りては成功したり失敗したり…それでも超自然体で生きていたし、他人に対して優しく、何より何かと面白い奴だった。自然とサウスの周りには人が集まり、皆に好かれていたと思う。
ところが!そんなサウスにも素敵な奥様が。卒業後に同じクラリネット科の後輩と結婚。これがまた実に素晴らしいお嫁様で、途端に彼は180度変わってピュアな大人になった。身だしなみが整い、身の回りも綺麗に片付け、やがて禁煙も達成。愛の力は凄いものだ。その後夫妻は山形に転居。演奏活動や後進の育成等活躍する傍ら、地元の農産物の収穫作業を手伝う等、人生を満喫していたようだ。
なんだろう…とにかく本当に面白くて楽しい奴だった。本人は多分敢えて面白いことを言うつもりもないだろうに、彼の口から発せられる一言一言に周りは笑わせられた。ちょっとした冗談だけでなく、身の回りに起こったエピソード、愚痴や文句、ほぼ全てにTIBIAの仲間は爆笑だった。そんな彼の「語録」を嘗てブログで纏めたことがある。そんな楽しい奴がアンサンブルで自分の隣にずっと座っていたものだから、次第に自分もどんどん“素”が出てしまい、バカ話や時には下ネタさえ口にしたり…さぞかしサウスにとっては迷惑だっただろう。
東京と山形の距離のこともあるが、ほぼ同時に他のTIBIAのメンバーもそれぞれ忙しくなり、自分も別のクインテットに“浮気”したりで、結局先日のあのライヴまで23年間活動を休止することになった。
そのライヴのリハは別記事でも記したが、Fg松本君の別荘で「合宿」と称して行われた。2022年8月末の事である。サウスは仕事の都合で遅れて到着したが、「ゴメンゴメン」と徐に入って来た彼の姿を見て、他のメンバーは絶句した。以前の半分位の体型に激痩せしているではないか。彼曰く、この23年の間に大病も患って、それなりに生活改善して来たそうである。嘗ては周りに「0.1トン」と揶揄された“肥満児”が、今や体重を聞くと自分よりも軽い。頑張ったなぁ〜とは思うが、今思えば更に細かく健康チェックを続けるべきだったか…
サウスはありがたいことに、昨年11月の自分のリサイタルには遥々聴きに来てくれて、終演後も一緒に乾杯して、とても楽しいひと時を過ごしたのだが、今思えばその時は既に病魔に冒されていた事は確実だと思う。あの時はまさかこんな事になるとは、夢にも思わなかった。
あの2022年のTIBIA還暦ライヴは。お客様や旧友達にもとても楽しんで頂けたようで、「またやって下さい」と何人もの人々にリクエストされた。その時は「いやぁもう体力が続かんヨ」などとやんわり断っていたが、心の奥底ではいつの日にかまたできればイイなあ…とは思っていた。多分他の4人もそうだろうと思う。だが、もうそれは何がどうなっても、絶対に不可能になってしまった。
木管五重奏。確かに自分の演奏活動の中心はオーケストラだったが(これまでの記事の通り)オケには良い印象がないだけに、自分にとってこの“木五”は青春時代の、そしてその後の音楽人生の象徴であった。TIBIAでなくとも今後、この形態で演奏する事はあるだろうか?現時点では、サウスの居ない木管五重奏なんて、とても吹く気にはなれないのだが…。
天国のサウスへ
南川君はキリスト教徒なので、所謂「戒名」という物はなく、お骨も教会に納められるとの事。ただ、それは未だ決まったことではなく、詳細は後日はっきりするそうだ。そうしたら改めてお墓参りに行きたいと思っている。
実は大学時代の同期生が他界したのはサウスが初めてではなく、ヴィオラのUさん・オーボエのHさん・そして以前記事にした事のあるヴァイオリンのYさん…自分が知る限りでも既に数名が旅立っている。天国では今頃この同級生達が集まって、談笑でもしているのかな…?
「あ、南川君!」
「新顔です、よろしくお願いします」
「ちょっと、何でこっちに来たのよ?奥さん可哀想じゃない」
「実はちょっと癌になっちゃいまして…」
「ダメじゃないの!奥さんひとりぼっちにして」
なんて、周りに怒られてるだろうな…
奥様だけじゃない、オレも寂しい。本当に寂しくて悲しくてたまらない。でも、サウスとのひと時はアンサンブルだけでなく、何処で何するにも本当に楽しかった。ゆくゆくは自分もまた会いに行くので、その時はまた一緒に吹いたり飲んだり、大笑いしたいものである。
サウスリバー、南川、今まで本当にありがとう。君のおかげでオレも実に楽しい音楽人生が過ごせたよ!闘病生活、お疲れだったね。安らかにお眠りください…って、もう眠っているか(笑)(涙)