思い出

「また会いましょう」

クラスメイトの死

高校時代の同級生だった女性ヴァイオリニストが他界した。癌だった。故人〜あえてUサンとしておこう〜は大学を卒業してすぐに某プロオーケストラに入り、これまで約35年間ずっとこの楽団で働いてきた。職場結婚後、2人のお子さんに恵まれ、幸せに暮らしていたと思う。

自分が最後にUに会ったのは確か3年程前だったか。その時はとても元気で、相変わらずの独特の雰囲気を醸し出していた。寧ろその時はUのご主人の方が精密検査とやらで、彼女はとても心配していたのを憶えている。

そして先日、通夜に参列したら、そのご主人が喪主だったわけで…。実はこのご主人も自分の旧友で、一緒にTIBIA木管五重奏団(前記事)でアンサンブルしていた仲間である。マスクのせいで顔はよく見えなかったが、さぞかし打ちひしがれていたと思う。声をかけたかったが、やはり今のこの世の中、参列者も大勢集まっていたし、ここに長居することは止めて早々に失礼した。

翌日は告別式。自分は多分あの「出棺」の場面には気持ち的にとても耐えられそうもないので、行かなかった。青春時代の3年間、共に泣き笑い、最高に楽しい日々を共にしたクラスメイト。自分にとっては第2の家族みたいなものだ。その1人がこんなに早くこの世を去るなんて…

未だに信じられない。

思い出

Uは飄々としながらもキリッとした自我の持ち主で、それは高校時代から感じていた。卒業演奏会で彼女はプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番を弾いていた。第2楽章スケルツォにてほんの2小節でcon sordinoからsenza sordino(=付けていた弱音器を外す)にする場面があるのだが、その際その弱音器をポイ!と投げ捨て、そのまま何食わぬ顔で演奏したのが今でも凄く印象に残っている。

Uを含めた4人位で、友人の別荘にスキーに行ったこともある。ある晩の夕食で彼女はなんとレタスの炒め物を作ってくれた。これがまたとても美味しかった。

Uは福岡県の出身なので、TIBIA木管五重奏団で九州公演をした際、彼女のご実家に皆で一晩ご厄介になったこともある。とても厳格な感じのお父上で、妙に緊張しながら過ごした記憶がある。

で、そのお父様の関係で九州のとある町の歌を何かに編曲した事もある。こうしてみると、Uとの思い出もなかなか尽きない。

今思う事

ウチの学年は現在でも毎年1回クラス会をしてきたが、今年ばかりはCOVID-19のせいでできなかった。高校で初めてUと出会ってもう40年余り。こんなに長い年月なのに、やっぱりあっという間にも感じられる。という事は、このペースでまた40年経つと、流石に自分もこの世に存在しているかどうか…畏らく自分も含め、同級生達が次々とUのいる世界に上っていく事であろう。

そうしたらまたあの世でクラス会ができる。一番乗りしちゃったUには、それまで“ほんの少しの間”、楽しみに待っていてほしい。

だからUには今はこう呼びかけたい。「また会いましょう」と。

…心よりご冥福をお祈りいたします。

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