還暦ライヴ…23年の時を超えて
今年4月の或る日、1本の電話がかかってきた。大学の同期でホルン奏者の山内君からだ。もう何年ぶりだろう?
話の内容は「久しぶりにティビアでコンサートやらない?」というお誘い。ティビアというのは昔組んでいたアンサンブル「TIBIA木管五重奏団」の事だ。
何でも、彼の知人がニコタマ(二子玉川)にライブハウスを持っていて、そこで何かコンサートしないかと提案され、いろいろ考えた挙句、嘗ての仲間を引っ張り込もうと思いついたらしい。時期は秋頃という。自分は既に12月の自主公演の準備に入っていたが、それでも誘ってくれてとても嬉しいので、二つ返事でOKした。
さて通話し終えてから考える。他のヤツラはどうしているだろう?参加するかどうか?スケジュールは合うのか?その辺を確認するのに、今やとても便利なものがある事に気づいた。
LINEだ。
自分は若い人達程はこれに詳しくないが、それでも細々と使っている。早速山内君がティビアのグループを作ってくれて、他のメンバー全員が入ってきた。
今、目の前で信じられないような事が起こっている。40年前に結成し、そして去年まで23年間も音沙汰の無かった5人が、こうしてLINEで繋がっているではないか。
先ずは一番大事な本番の日を10月30日(日)に決定し、そしてとにかく実際に顔合わせしよう、という事になった。
メンバーの近況は?
オーボエの浦丈彦君は、日本フィルハーモニー交響楽団から読売日本交響楽団に移籍した後、現在は退職して昭和音楽大学の特任教授として後進の指導にあたっている。その仕事柄、演奏活動は週末が好ましいとの事。
クラリネットの南川肇君は現在山形県在住。郡山女子短大の教員を勤めていて、現在は非常勤でレッスンなどしているそうだが、秋には近所の農家で果物の収穫の手伝いをしているそうである。
ファゴットの松本和人君には、実は嘗て自分のCD「ヴァイオリンソナタ集」の録音でとてもお世話になった。所謂“録音屋さん”であるが、嘗ては東京シティフィルハーモニックで演奏していた。
そしてホルンの山内研自君は、芸大卒業後すぐに東京フィルハーモニー交響楽団に入り、そこからまさに38年間、オケ一筋で活躍している。
5人全員が昭和37年の、しかも9月から12月の間に生まれ、そして皆同じ年度に現役で入学している…という事はつまり、今年の9月から12月までに揃って満60歳になるという訳だ。余談だが、自分はその学生時代のあだ名が「ジーサン」とか「ジジイ」だった。今はこうして5人共自分と同じジジイとなって、何かやろうとしている。。。
顔合わせと「合宿」
6月某日、その会場の下見と、コンサートの具体的な内容を決める為、南川君以外の4人がニコタマに集まった。流石に皆、自分も含めて顔や髪の毛に大分“人生”が刻まれてはいるものの、皆んな元気で口調も昔のままである。
積もる話は山ほどあるが、それよりも決めるべき事は早く決めなければならない。差し当たりざっくりとしたプログラム・広報・そして練習スケジュールを決め、詳細についてはLINEで詰めていく(つくづく便利だ)。
【プログラム】
〈前プロ〉ダンツィ作曲木管五重奏曲B-Dur/op.56-1
木管五重奏曲の定番中の定番だが、TIBIA最初の自主公演(1983年5月)の最初に演奏した記念すべき曲。
〈中プロ〉拙作。差し当たり「帝国変奏曲」と「秋の音楽メドレーオペラアリア風」。TIBIAにとっては初体験の曲。
〈本プロ〉平尾貴四男作曲 管楽五重奏曲
1986年の「民音コンクール」で入賞した経験がある、これも忘れ難いナンバー。
いずれにしても、リハーサルで詳細を詰めていく。
【広報関係】
チラシデザインは湯本が担当、8月初旬に仕上げる。チケットは発行せず、Web申込もしくはメンバーに直接申し込みのみとする。
ところで一番厄介といえば厄介な練習の為のスケジュール合わせだが、練習は松本君の別荘で1泊2日の合宿という事になった。実は彼の家は昔、音が出せる山奥の別荘を持っていて、若い頃はよく使わせて貰ったものだ。今彼は当時の別荘はとっくに引き払って、那須に別に1件持っている。ロケーションも“東京組”と山形の南川君とが集まれて丁度良いし、ここで集中的に音出ししておけば、その後の方向性も決まってくるだろう。
そして8月某日。遂に5人が那須の別荘に集結した。こういう時に我々は、お互いに再会を歓び合ったりはしない。まるでいつも会っているかのように、ごく普通の会話が始まる。実はこの仲間のこういうところが自分は気に入っている。
そもそも我々TIBIAの練習中の会話は、他の人が聞いたらもしかしたらハラハラするかも知れない。というのも、常時お互い貶し合っているからだ。お互い「お前下手糞だな〜」とか「お前のいう事は信用できない」とか「お、上手いじゃん。少しはさらったか?」とか、最早全員が互いに“上から目線”、こんな感じで20年近くやってきた。流石に今回はあまりそういうのはないにしても、相変わらずの気兼ねない雰囲気で夜まで練習は続いていった。
練習後は酒を飲みながらまったりと会話、とはいえあまり夜更かしすると、翌日が台無しになる。ここが若い頃とは大きく異な…いや顧みれば若い頃もよく台無しにしていたか(笑)
ネットの力
ただやはり今は、そうそう5人が練習の為には集まれない。無理矢理合わせようとすると深夜とかになってしまうが、そんな気力体力は最早持ち合わせていない。結局この合宿の後はもう本番前日に会場リハがあるのみとなった。
幾らプロ奏者でもこれで本番に臨むのは少々不安があるし、実際チケットの売り方や販売状況も厳密に把握して行くのは困難でもある。だがしかし!ここでまた活躍してくれたのがLINEをはじめとするインターネットの力だ。この23年の間にこんなにも世の中は便利になっているのかと、とにかくいろいろ痛感させられる。これについては別記事で挙げてみよう。
TIBIAは有名だった!?
そうこうしているうちに、あっという間に本番の日を迎えた。
会場の「スタジオtake2」はゆっくりお酒を嗜みながらジャズライブでも聴くというような所で、いろいろな形の椅子やテーブルが置いてあるが、これはオーナーさんの趣味だそうである。ドラムセットやグランドピアノ(なんとベーゼンドルファー製)も標準装備で、もし我が家に近かったらもっと利用させて頂きたいところだ。とにかくこの椅子をフル稼働すれば60席位になるが、当日はこの60席がほぼ埋まった。ありがたい事である。
そのうち8名はまあメンバーの家族で、総動員でスタッフ的な事もして貰った感がある。嘗ての旧友達も来てくれた。実はTIBIAは学生時代から結構コンサートに出演した事もあって、割と有名なのである(笑)。「え!?TIBIAやるの!?」と言わんばかりに間髪入れず申し込んできた人もいて、何だか嬉しいやら緊張するやら…。
次に多かったのが各メンバーの生徒関係。特にOb.の浦君は大学での仕事柄沢山の生徒がいて、沢山売ってくれた。沢山生徒がいるからと言って沢山売れるとは限らない。一重に彼の教員としての人望が厚いことを物語っている。
こんな風にして、いっぱいのお客様に囲まれて我々TIBIAはこのコンサートを終えた。顧みれば最初の顔合わせから始まって、合宿・そして本番と、久しぶりに楽しい思いをした。この何年間でこんなに楽しい思いをした本番なんてあっただろうか…?
「次」はあるか?
こうして省みれば、メンバーそれぞれ役割みたいなものが暗黙のうちに決まっていた。
湯本:楽曲提供・チラシ・プログラム作成(+合宿での“主夫業”全般)
浦:集客力は抜群!流石教授!
南川:遠い山形からはるばる演奏にやってくる。これだけで十分。
山内:今回のプロデュース・事務的な全般業務・そして本番でのMC。
松本:合宿所の提供・録画録音&編集
それぞれの言うなれば「得意分野」で上手く回っていったのだ。この要領でいけばこれからもちょいちょいこんなライヴができそうだが、ところがどっこいそういう訳にもいかない。理由はスケジュールよりも寧ろ、加齢に伴う体力の低下だ。5人共見事にチョコマカと通院状態だし、そもそも木管五重奏は全般的にキツいのだ。この先また集まれれば楽しいことは楽しいのだが。。
昭和の五人組
この会場のあるビルの最上階には、小ぢんまりとした飲食店が入っている。我々5人とその家族は、終演後にそのままエレベーターで昇り、細やかな打ち上げをした。
その際、本日の売り上げ金から様々な諸経費を各メンバーに返した上で、余った分を本日の“ギャラ”として現金で配る様は、さながら昭和の日雇い人夫の様である。その計算は総て“ジャーマネ役”の山内君がやってくれて、彼のいうがままに受け取っておいた。金額について細かい事は気にしないのもTIBIAの良いところではあるが、果たして山内君はマネージ料はちゃんと取ってあるのだろうか…?
偉大なる師匠
ところでこの度のコンサートで忘れてはならない存在がもう1方。我々TIBIAの師匠、海鋒正毅(かいほこ まさたけ)先生だ。実は芸大フィルの大先輩であり、嘗ての首席クラリネット奏者だったが、自分が入団して間もなく退職し、長年群馬大学教育学部で教鞭をとっておられた。一方、我々がこの木五を結成した当初から厳しく指導して下さり、その後もTIBIAに沢山の仕事を照会して下さった。このいい加減な五人組に対して、よくも見捨てずにお世話してくれたものだと、つくづく申し訳ないやらありがたいやら…。
御歳八十と成られたが嬉しくもご健在なので、勿論このコンサートに招待し、打ち上げにもいらして頂いた。これからも是非お元気で長生きしてほしいと願っている。
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