思い出

TIBIAで避暑中に…

TIBIA(ティビア)木管五重奏団。自分が30代の半ば位まで組んでいたアンサンブルだ。確かハタチの頃、G大の同期生同士で結成し、学内学外のコンサートに出演し、室内楽コンクールで入賞もしている。各メンバーは現在プロオケや大学教員等、それぞれの分野で活躍している(因みに当時のファゴット奏者は、昨年リリースしたCD『クロイツェル&フランク』のディレクターである)。

TIBIAの5人は普段もとても仲が良く、大学ではよく昼食を共にし、呑みに行き、そして合宿もした。合宿とはいっても、その殆どは呑んでばかり遊んでばかり。一応楽器は持って行った、という程度である。当時の合宿所は群馬県片品村にあるこのファゴットMの別荘がメインだが、彼の伯父さんの別荘というのも使わせて頂いていた。こちらは北軽井沢にあり、どちらにしても衣食住は自分達で賄い、それなりに楽しかった。

別荘の前の道路にてスリル満点の合奏をしてみたり…

さて、自分がG大を卒業した1985年の 8月の或る日。我々TIBIAはこの北軽の別荘の方で避暑に行っていた(最早“合宿”とは呼ばない)。この別荘にはTVが無く(正確には立地上TV電波が入らない)、外部からのメディアといえばラジオのみ。それもNHKしか入らない。スマホもネットも無い時代、なのでなんとなくこの「NHK第1放送」をBGMに酒を飲んでいたが…

今日はやたらとニュースばかり流すなぁ…と漸く耳を傾けてみると、アナウンサーの口調は静かなのに内容が衝撃的過ぎた。「羽田発大阪行きの日本航空123便ジャンボジェット機が群馬県の御巣鷹山に墜落しました。現在生存者は4名、客室乗務員の◯◯さん、小学生の◯◯さん…」耳を疑い、メンバー一同絶句していた。その後の自分達の事はあまり覚えていないが、帰京中の関越道からはおびただしい程のヘリコプターが飛び交っているのが見えた。きっとレスキューや報道のヘリなのだろうな。

あれから今日で35年。自宅に着いてからのTV、新聞、週刊誌などにはショッキングな画像が連なっていたのは今でも忘れない。生死に関わらず、あの便に乗っていた方々の恐怖は計り知れないものであっただろう。自分だって飛行機に乗っている時、特に離着陸の時には幾ら何も無くても一瞬緊張するし。

だが仮に、今日一日ネットもTVも何も観ていなかったら、この日の事は忘れていたかも知れない。どんなに悲惨な事故でも、このように35年という歳月は風化や忘却をアシストしてしまいそうだ。しかしそんな中…

最近我が家のまさに真上を旅客機が低空飛行するようになった。午後3時から6時位まで、何分かおきに「ゴーッ」という轟音が空に鳴り響く。令和2年度より開始された「羽田着陸の新ルート」だ。実はこのルート、操縦士にとってはかなりのプレッシャーで、着陸時の角度がそれまでよりもキツイらしい。

今やジャンボジェット機はとても安全な乗り物と言えるかも知れない。しかし一方、自分の中に(あんなに重い物体が浮く筈がない)という概念が残っている以上、くれぐれも自分の家に落ちてこない事を祈るばかりである。

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