思い出

人生で最も悲しい音

自分にとって生涯で最も「悲しい」と感じる音は何か?

先月末、義母が他界した。一昨年の夏に倒れて以来、まる16ヶ月間病床に伏していたが、回復の兆しなく帰らぬ人となってしまった。

葬儀は通夜なしの告別式のみで、身内のみで執り行なった。“緊急事態宣言”中では遠方の親戚にも参列はご遠慮頂くしかなかった。

一連の儀式が終わって、霊柩車と共に火葬場へ。変な話だが、この真冬の時期は亡くなる方が多く、火葬場も込んでいて順番待ち状態だそうだ。なので義母の場合も、亡くなってから告別式までは大分日にちが開いた次第である。

そして棺がいよいよ火葬炉内に入れられる。ズラリと並んだ各入り口の前には、既に“先着”の故人の遺影が並んでいる。このスペース一帯に、ガスの燃え盛る「ゴォーーー」という音が鳴り響いている。

この時自分はこれだ、この音だ!この「ゴォォォォ〜」と鳴り響く火葬炉の音こそ、人生でもっとも悲しい気持ちになる音だ、と痛感した。

火葬の場面に臨んだのはこれで4回目か。一番最初は自分の母親の時だったから、もうどうしていいかわからない位悲しかった。火葬場の係官がいて、お坊さんもいて、さっきまでのお葬式とは全く違う、妙に慌ただしい空気の中、お経とお鈴の「チーン」という音が「ゴォォォォ〜」にかき消されていく。そして、いよいよ係官が棺を炉の中に押し込んでいく。遂に完全に収納され、その小さな入り口が自動で閉まる。

いつ何度思い出しても、辛く悲しくなる瞬間である。

そうして時間が経ち、収骨の場面となる。運ばれてやってきた故人の遺骨を目の当たりにすると、自分は妙に吹っ切れた気分になる。多分相当な高温で焼き尽くすのだろう。棺の中にあんなにいろいろな物は入っていたのに、その形跡は全くないし、骨自体も(遺体の状態にもよるだろうが)殆どボロボロになっている。

故人は完全に「骨」という物体になったのである。これからは故人は、周りの人達による生前の記憶のみで“生きて”いくしかない、と悟る。

…あの「ゴォォォォ〜」という炉の音は、同時に自分のこういうもやもやした気持ちも焼き尽くしてくれるのかな、と思うのである。

とはいえ、そんな高温だとお骨もまだ暖かい。骨壷を抱いていると、まるで故人の温もりが感じられるようでもあり、改めて涙してしまう…。

NHKの番組「チコちゃんに叱られる」で「電車の音で気持ちよく眠れるのは、胎児だった頃のお母さんの心音に似ているから」という説を聞いた。母親の子宮内に鳴り響くのは紛れもないあの「ゴォォォォ〜」という音で、その上に薄っすらと「ドン、ドン…」という心拍のリズムが重なっている。

…そうか、人間というのはこの音に包まれて形成され、そしてこの音に包まれて消えていくのか…という、何だか凄い事実を知ってしまった気がする。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です