オーケストラ,  作曲家・作品,  藝フィルレポート

危険な音楽

先日「アートルネッサンスコンサート」という名称の、若い音楽家達を応援するコンサートが開催された。その中に「本日世界初演」と謳われる新作があったのだが…つくづくこの曲には困り果てた。
パート譜はパソコンで綺麗に印刷されていたが、だからといって読み易いのかというと、必ずしもそういう訳ではないのだ。

2nd.Fluteのパート譜より

この楽譜の拍子は3/8拍子であり、譜割は正確に記されているものの、とにかく何処が何拍目なのか頗る解り辛い。なので鉛筆で「1,2,3…」とビートを書き込む。。。そんな事はまだ良い。

それよりもとにかく臨時記号、特にナチュラルの書き方が変だ。この楽譜では赤丸で囲んだ所。付けてほしいのに無かったり、要らないのに付いていたり。

これもコンピュータの為せる技で、楽譜自体に何ら間違いはない。そもそも臨時記号は小節が変わったら途端に効力が消えるからだ。

しかしこれを生身の人間が演奏するとなると、やはり赤丸の所が如何に読みにくくて苦労するか。ここがコンピュータには理解できない所なのだ。

この楽譜作成ソフトが無かった時代は、パート譜は当然全てスコアからの手書きの写譜であった。するとその際に上記のレイアウトや臨時記号の事等は、書きながら気づいては対処していくもの。だが現在は、恐らくマウスを何度かクリックするだけでたちどころにパート譜になってしまう。多分作曲者はその便利さ故に、余った時間にコーヒーでも飲んで寛いでいるのだろう。

だが演奏する立場から言えば、その余った時間こそに全てのパート譜を1小節1小節、検証する手間をかけてほしいものだ。言い換えれば、もっと演奏する側の気持ちになってパート譜を作ってほしいのである。

ところで、しかしながらこの音楽、また別の意味で大問題があったと思う。

元々このコンサートは、今年の4月に開催予定だった。しかし周知の通りコロナで延期、その間オケのスタッフ達は血の滲むような努力をして、秋以降の「感染防止対策を施した開催」にまで漕ぎ着けてくれた。その詳細は前記事「見えない敵との闘い」の通りである。

ところが今回のこの曲、どういう意図か解らないが、各楽器の配置をバラバラにして、例えば元々木管前列の位置にトロンボーンやホルンを配置する等して、弦楽器とのディスタンスを取るのが難しい状況になっている。また管楽器特有のオーバーブロウ(息を必要以上に強く吐き出す)的な奏法も随所に出てくる。つまり、あんなにスタッフ達が頑張ってセッティングしているのに、それを踏み躙るかのように飛沫が飛びまくる事をこの曲は要求してきたのである。

自分も「ジェットホイッスル」というフルート独特の奏法によって左隣の奏者の吐息をモロに浴びていたが、自分の右隣は今回クラリネットが座っているので、流石にその奏法はできなかった。

この曲がこのコロナ禍でなければ、配置も奏法も何ら問題ないと思うが、こんな状況下で皆が頑張って漕ぎ着けたコンサートなのに、平気でこんな事をさせるとは空気読めないも甚だしい。

大袈裟に言えば、今は「命の危険が伴う音楽」であった。もしこれが原因で感染し発病し、最悪死者が出たら、一体誰が責任を負うのであろうか?指揮者もスタッフも、そして運営陣・指導教官等、誰も気付かないのだろうか?