思い出

敬愛する我が師匠(1)〜忘れられないレッスン

大学時代、4年間お世話になった師匠:川崎優(かわさき まさる)先生が昨年11月29日、ご逝去された。94歳、天寿を全うされたそうだ。
そして昨日、川崎先生を偲ぶ献花式が都内のホテルにて行われ、心から尊敬する我が師匠に、最後のお別れを告げて来た。


芸大受験の為、初めて師匠の門を叩いたのは自分が高校3年生の冬。神奈川県茅ヶ崎市にある先生の御宅までは片道2時間半程かかったか。前以って周囲のいろいろな人達から「厳しい先生だよ〜」と聞かされていたので、メチャクチャ緊張して伺ったのだが…
確かに厳しかったが、“恐い”というより“威厳がある”という感じ。寧ろ穏やかでよく笑う先生だった。「教える」というよりも「自分で考えさせる」という、今までに経験した事のないレッスンのタイプ。生徒ができないのは既に生徒自身が解っているから、無闇に追い討ちをかけるような事は言わず、ヒントや方向性を示して「次頑張って練習して来なさい」と。そうすると俄然こちらも「頑張って上手くなろう!」と前向きになれる。
そんな師匠だった。

晴れて大学入学後も、同じようなレッスンは続いた。ただ、先輩や同僚がフランス近代モノやら何々コンチェルトやら、もの凄いのをビシバシさらっている中、川崎クラスの1〜2年は何だか技術的に優しいアリア集とか、基礎的なエクササイズとかをやらされ、ちょっと不満だった。所謂“歌い方”のレッスンだったが、実はこれが、これこそが音楽する上での最も重要な要素なのだという事を痛感したのは、もっと後、卒業する頃になってからである。それまで単純に4年かかった訳だ。

川崎優先生は作曲家でもあった。芸大(当時は東京音楽学校)のフルート科を卒業はしたが、その後は寧ろ作曲の方が本業だったと思う。なので、レッスンは常に作曲家の視点で曲分析をし、理論的に話を進めていく………っていうのが、まだたかだか19〜20歳前後の青い自分には理解に苦しんだ訳だ。
「違うちがう、ここはこうだからこうやって吹くんだよ〜。やってみなさい。こうやってワァーッと。そう、ワァーッと。そうそう。ウマイね〜、君ウマイね〜」そう仰ってからククククク…と特徴のある笑い方をする。こんなレッスンが続いた。
何も言われない時もあった。あまりに黙っていらっしゃるので、吹き終わって振り向いたら…スヤスヤと寝ていた。

とまあここまで記せば、レッスンにいろいろ疑問も生じるだろうが、真髄はもっと深いところにあった。要するに『東京芸大フルート科川崎クラス』の学生は、自分でいろいろな曲を自由にどんどん練習し、自発的に研究していかなくてはならないのだ。かといっていい加減にアナリーゼ(曲分析)すると、たちどころにダメ出しされるし、歌い方がつまらないとこうやって先生は眠ってしまう。我ながら下手だなァと思っているのに、こう「上手いね〜ウマイね〜」を連発されると逆に落ち込んでしまい、本当に上手いと思われるように吹かなければ…と頑張ってしまうのである。所謂“褒め殺し”ってヤツか。

だが、そんな話を同じ川崎クラスだった大先輩達にすると、皆口を揃えて「へぇ〜、先生も優しくなったものだなァ。お歳のせいかね」と言う。昔は本当に厳しかったそうで、門下生はレッスンの度に泣かされたそうだ。

確かに、他の先生方についても「歳と共に丸くなった」という話をよく聞く。そういえば最近、自分もそうかも知れない(昔程レッスンで激昂する事もなくなったし)。
ただ、川崎先生の場合は“ちょっと昔”よりも“もっと昔”、つまり太平洋戦争時代に実は壮絶な体験をされ、まさに九死に一生を得た方なのである。そんな師匠の人生経験こそが、その後の人間味が更に深くなり丸みを帯びていった要因なのかな…とつくづく思うのである。
(次記事に続く)

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