伯父の葬儀
父方の伯父が他界した。父の実家、つまり本家は長野にあるが、その本家の長男にあたる方で御歳88、本来なら米寿のお祝いをすべきであったのだが…脳梗塞で倒れ、やがて逝ってしまった。
何はともあれ、早速北陸新幹線「かがやき」に乗り込む。昔だったら信越本線のエル特急「あさま」で4時間位かかったのだが、現在は半分の2時間後にはもう葬儀場に着いていた。
で、ここから後がいちいち初めて経験する事ばかり。
先ず、親族控室…だと思うが、控室なのに祭壇と棺桶が備えられ、当然伯父が寝ている。棺桶には蓋も「守り刀」もなされていない。そうこうしているうちにお坊さんが突然現れ、「お剃刀の儀」という儀式がなされる。故人の額に(切れない)カミソリをピッとあてがう、という所作だ。
この時点で解る方には解るだろうが、この長野の本家は「浄土真宗」なのだ。この宗派に則ったお葬式は実に変わっていて、「人は誰でも死んだ途端に仏になる」という考えの元に進められる。まあ、考えようによっては至極合理的で、49日もこの世を彷徨う事なく、さっと極楽浄土に行ける方が故人には嬉しいだろう。という訳でこの日はお通夜だったが、翌日の告別式までにご遺体はもう荼毘に伏しちゃうそうである。
さて「お剃刀」の後、会場はやっぱりここのままで、テーブルのみサッとどかして別のお坊さんがやって来て、間もなくお経が始まる。浄土真宗のお坊さんは剃髪しなくても良いそうなので、ハゲではなくきちんとした髪型をしている。配られた経典で途中から唱和させられるが、これがもう、やたらと長い。お経というよりは寧ろ“歌”で、「南無阿弥陀」という四七抜き調のメロディーがロンド形式のように出てくるが、ちょいちょい旋律に変化があり、それは“歌詞”の脇にある「√」とか「⧙」みたいな記号で示されていて、それは唱えているうちに解読できた。
それにしてもとにかく長い。終わってみれば結局延々40頁以上あったか。お焼香は途中で焼香台が回って来て、座ったまま済ませる。このお経、ちょっと息が上がる位キツかったので、ご年配の親戚などは尚更だったであろう。
その後のお斎(通夜振舞い)の会場は流石に別室であったが、係りの人が「男性の方々、ちょっと手伝って下さい」と言うので何?と思ったら、棺も一緒に移動だそうだ。つまり、お斎には伯父も(棺のまま)同席である。故人の写真のみが飾られているお斎はよく経験しているが、これもまた珍しい光景であった。
帰り際、そういえばまだお香典を出していない事に気づいた!そう、普通葬儀会場にあるべき「受付」というものが無いのだ。なので喪主(従兄弟)に直接渡して帰路に着く。明日の告別式には、祭壇にはそういう訳でお骨がチョコンと置かれている事であろう。
(次記事に続く)