思い出

あれから20年

父親から電話があった。「容体が急変したからすぐ来て」「わかった。すぐ行く」
いよいよ、いよいよお別れか。それまでの壮絶な闘病生活、さぞかし辛かっただろうな。これでやっと楽になれるのかな。そんな気持ちもあった。
すぐに支度して出かけたものの、電車の接続が悪くタクシーもなかなか乗れず、やっとの思いで病室に駆け込んでみたら、そこには父と妹と従姉妹がいた。皆目を真っ赤に腫らせていた。そしてベットには母が静かに横たわっている。つい先日まで9本も繋がれていた管は全部取り外され、よく見ると口の中には脱脂綿が詰められていた。そして何より驚いたのは母が「呼吸していない」事だ。何でこんなに長く息を止めていられるのだ!?
当たり前の事なのだが、生まれて初めて“遺体”というものに身近に遭遇した自分としては、これが最も衝撃的だった。
父の話によると、ナースステーションでアラームでも鳴ったのか、いきなり医者と看護師がどやどやと病室に入って来て目の前の母を診察。脈を取り瞳孔の確認などしてから静かにこう言った「ご臨終です」同時に外からお昼のサイレンが聞こえて来たそうだ。
1997年4月13日午後0時00分、母:湯本洋子は息を引き取った。享年55。ほぼ全身を癌に冒された最期であった。
その後はもう、何が何だか判らない程慌ただしかった。葬儀の準備から後片付けまで、仕事のスケジュール調整、各所ご挨拶…だがいろいろと動いている中、何かもの足りない・誰か1人この場にいるべき人が居ない…そんな気分だった。“心にポッカリ穴が開く”というのはまさにこのことか。
通夜では方丈さんにお願いして、お経が一区切りついたところで、棺の前で1曲吹かせて貰った。エマヌエル・バッハの無伴奏フルートソナタの第1楽章。1ヶ月後のリサイタルで演奏する予定だった曲である。変な話だが、人間は死んでも聴覚だけは医学的にまだ最後まで機能しているそうである。だからきっとこの曲を、この自分の笛の音を、冥土の土産に持って行ってくれた事であろうと信じている。
そしてあれから今日で丁度20年。今では父もこの世を去り、二人して埼玉県鴻巣市のお寺に眠っている。先日、御墓参りをして来た。いい天気であった。

流石に20年も経つと、母の顔・声・性格等の印象は少し薄れてきた。薄れてきたのだが、ここ最近よく両親が夢に出てくるので、その度に「ああ、オレのお母ちゃんこんな感じだったかな」と思い出している。そして自分もその55歳に近づきつつある。今のところまあまあ健康で、この母よりは長生きしそうであるが、油断はできない。

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