オーケストラ

そこはオレだろ?

本当に忘れた頃にこの依頼は入ってくる。例のアマチュアマンドリンクラブの定期演奏会賛助出演だ。前回の出演は確かコロナ禍前の2019年、6年ぶりである。この団体の定演の演目は指揮者の自作シリーズか、クラシック名曲集か、ロシア界隈の民族音楽集かの3通り程のローテーションで進められているらしい。

で、今回はクラシック名曲集だ。ブラームス・ドヴォルザーク・シュトラウス・ビゼー等、お客さんが大喜びするような名曲が揃っている。だが〜確か昔からこうなのだが〜、マンドリン属だけで賄われている編曲だらけで、フルートが入っているのはこの中でもただ1曲、ヨハン,シュトラウスの「春の声」だけなのである。他のプログラム、例えばブラームスは「悲劇的序曲」ドヴォルザークは「スラヴ舞曲op72-2」ビゼーは「カルメン」組曲…とフルートにとっては重要な役割が沢山ある曲ばかりなのに、幸か不幸か出番は無し。こんなに楽でいいのかな?(楽と言っていいのかどうか…)尤もヴァイオリン属ではないから、管楽器奏者にとっては普通のオケとは大分要領が異なるだろうが…

ヴァイオリン属とマンドリン属の違い

その要領の違いとは、例えば音量の加減。撥弦楽器は音を持続するには何度も手を往復させて、高速で発音を繰り返さなければならない。という事は、コンマ00何秒かの音の隙間が挟まり、それがほんの少しだが音量の減少に繋がる。弓で弾く弦楽器群とは音量のレヴェルが全く異なるので、一緒に演奏する身としては、どの位の大きさで吹けば良いのかが、慣れないと難しい。

そして例えばタイミング。オケの奏者は発音のタイミングをどちらかといえば指揮者よりもコンサートマスターの弓の動きに合わせている。だが、マンドリンはその弓が無い。手元は殆ど見えないし、何となく頭や身体の“振り”に合わせるしかない。

そして、何といってもピッチ。この団体はA=440Hzで演奏しているそうだが、440だろうが442だろうが、そんな事よりも多分音の波型の違いに因るものなのか、合っているか合っていないかすら判断し辛い。その昔ギタリストとデュオでコンサートした時はそんな事は全く感じなかったのに。しかもよくよく聴いてみると、弦全体のピッチが合っているという訳でもなさそうだ。かくなる上は腹を括って自分の音感でいくしかない。

踊りたいのに…

さてとにかくリハーサルは始まった。指揮者の先生はピッチとテンポに特に気を配っているようで、何かというとすぐ演奏を止めて、電子音のAを鳴らして全員に確認させる。市販のチューナーのお馴染みのこの「ピーー」と鳴るA音は、得てして管楽器奏者には頗る苦手な音色で、とても合わせ辛い。マンドリン奏者にはどうなのか知らないが、何れにせよあちこちからいろんなピッチのAが聞こえてくるので、多分皆同じ様に合わせ辛いのだろうとお察しする。

テンポについても、先生は必ず先ずメトロノームで何拍か「カッ、カッ…」と鳴らし、そして止めてから振り始める。それは良いのだが、その調子でシュトラウスのワルツともなると、そのまま「1!2!3!1!2!3…」と振り続けるから何だかガチガチの曲になってしまい、とてもこれでは踊れないだろう。ウィンナワルツは本当に舞踏会用なので、1拍目と2拍目がちょっとくっついた感じの、とてもお洒落なステップのそれなのである(東洋人には苦手という説もあるが)。折角のシュトラウスなのに、その片鱗も感じられないただの1×3拍子にせざるを得ないのは、やはりマンドリンという楽器の特性や事情によるものなのか?とにかく吹いていて何となく窮屈な感じの「春の声」であった。

そして本番。控え室で出番待ちしていると、ステージモニターから本来はフルートが大活躍する「カルメン」組曲が聞こえる。「間奏曲」のあの美しいメロディーは多分第1マンドリンが弾いているのだろう。思わず「そこはオレだろ!」と声を上げてしまい、暫く一人で同じメロディーを吹いて遊んでいた。

MとKの共通点

もう40数年前になるが、巷で有名な某M大学の超体育会系マンドリンクラブにエキストラ出演したことがある。この時のリハはエキストラですらビビる位の緊張感だった故、どのプログラムも“音楽”というよりは“音が苦”と感じられる程の、気迫の演奏であった。一方、こちらのマンドリンオケは勿論そんな雰囲気は微塵も感じられない、和気藹々としたものだ…が!そこから繰り出される音楽には何か妙に共通したものが感じられた。具体的には言い表せないが、アマチュアのマンドリン・オーケストラって何処もこんな感じなのだろうか?チャンスがあれば1ぺん別のマンクラで吹いてみたいものである。

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