壁崩壊から30年
1990年8月31日、自分達夫婦は旅行でベルリンにいた。ここの東西を分裂する壁がその前年に壊されたというニュースは当然知ってはいたが、それがどういう事なのか、平和ボケしていた当時の自分にはよく解らない状態のまま、この場所にやって来た。
多分ここには、ほんのひと月程前までは大勢の係官がいて、ビザやらパスポートやら荷物やらチェックされたのであろう。その建物だけがこうして残っていて、今は人っ子一人居ない、というのが返って不気味だった。本当にここを素通りして良いのか?そのうち、銃を抱えた兵隊がやって来てなんやかんや独語でまくしたてられた挙句、何処かに連れて行かれるのではないか…なんて思いながらも、スーッと二人で通り抜ける。そのまま歩いても、誰もやって来ない。本当に見渡す限り、人が歩いていないのだ。
そのうち第一町人発見。別になんて事なく普通に歩いていて、旅行者なのか地元民なのか判らないが、ふと気がつくと周りの町の様子が何だか変わっている。言うなれば少し昔に戻った感じ。当時はスマホも地図アプリもなく、本物の(解り辛い現地発行の)地図を片手に歩いていたのだが、漸くさっきの場所は「チェックポイント・チャーリー」と言われる場所で、ここは旧東ベルリンだということが解ってきた。町に漂うガソリンの匂いは、どうやらまだ沢山走っている「トラバント」という東ドイツの国民車が吐き出す排気ガスの匂いのようだ。
そして自分達は遂に「壁」のあった場所に到達。とは言っても、もう壁らしき物はあまり残っていない。唯一残っている所には…観光客だろうか…人々が群がり、その壁を壊して記念に持ち帰ろうとしている。中にはその破片を幾つか束にして売ったり、壊す為のノミとハンマーを1回1マルクでレンタルしている業者もいた。
つまり「ここに壁があった」という事実が、当時既に“観光ネタ”になっていて、まだそれに慣れていなかった初の海外旅行者(=自分達)は、全く何処へ足を運ぶにも畏るおそるの状態だった訳だ。
それ以来ドイツには行っていないが、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一されてから30年経ち、現在の様子をGoogleのストリート・ビューで見てみると案の定街並みは全く変化しているようだ。しかしながら例の「ここから先は“東”ですよ」という看板はまだそこにあり、すぐ近くにある「壁博物館」もリニューアルされながら健在。そう、30年という年月は決してそんなに昔ではないのだ。少なくともそれ以上数年でも遡っただけで、あの辛く悲しい歴史がまだ存在していた事は忘れてはならないと思う。