思い出

敬愛する我が師匠(5)〜祈り

川崎優先生は静かに旅立たれた。生きとし生けるものは必ず死ぬとは解っていながらも、やはりこの世に“居る”と“居ない”とでは全然違う。ここ数年、全く自分はお会いしていなかったくせに、何だか今は寂しい。寂しくてたまらない気分だ。
ただ、川崎先生は多くの曲を残している。昨年末にご逝去の連絡を受け、その後故人を偲んで先生作曲の「ララバイ」を吹いてみた。「運命」を聴けばそこにベートーヴェンという知らない人物の人柄を感じるのと同じように、先生の曲にはやはり先生の“気”を感じる。ジャンルを問わず、芸術作品を作るとは、このように魂を後世に託す事なんだなと、改めてその大切さを実感した。

受験前はガチガチに緊張してレッスンに臨んだ自分だったが、大学入学後はそんな川崎先生のちょっと“お茶目”な面も垣間見えたりして、何だかホッとした気分…という時もあった。川崎クラスはレッスンの後そのまま飲み会、という日も時々あり、先生を囲んで実に有意義なひとときを過ごしたのも良き思い出だ(飲食代は全部先生が払って下さった)。酒の席ではニコニコしながら、時には人生についてとても勉強になる話をされているのに、口の周りにご飯粒が付いていたり、時には酔っ払ってろれつが回らなくなっても、バッハの和声や対位法の話をされたり、時には恋愛について延々と語られたり…そんな川崎先生が門下生達皆大好きだった。

“楽器を持って行かない合宿”というのも楽しかった。門下生の誰かが幹事となって1泊2日で計画。車2台で伊豆・箱根方面に向かう。自分も免許取立てで、いきなり先輩を乗せてレンタカーを運転させられたのは、流石に精神的にキツかったが。

今となっては、そんな楽しかった記憶ばかり残る。勿論レッスンでの厳しい一面や、酷く叱られたり、周りが困っちゃったりというヤバい空気の時もあったが、思えばそれもまた生徒を育て、豊かな人間性を身につけてほしいという、先生の強い教育愛故であろう。
奥様を、ご家族を心から愛し、そして日本の音楽文化の発展に向けて素晴らしい業績を残された川崎優先生。
長い人生、本当にお疲れ様でした、本当にありがとうございました、と心から天国の師匠に向けてお祈りしたい。

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