藝大フィルとの35年(その4)棒を振る人/棒に振る人
「オケ連」に加入したら、組織を変えなくてはならないことは先述の通りだが、その中に「常任指揮者を立てる」というのがある。Gフィルでは高関健先生・山下一史先生・そして迫昭嘉先生だったが、高関先生はこの3月で退職され、現在首席指揮者は山下先生が務めている。
他にも指揮者はいるが、大学に所属するオケなので基本的には指揮科の常勤教員や非常勤講師が振っている。他には外国からの招聘教授や外部の芸大OB等。ここ数年は一年につき大体平均8人程が振っているが、実際は先の両氏が殆どを占めていて他の指揮者は年間1〜2度しか来ていない。
とにかく仕事数の割には指揮者の数が限られていて、あまり沢山の指揮者には来て貰えないのだ。それぞれ皆素晴らしい指揮者だと思うが、こうも同じ方が連続して指揮台に乗ってくると、自分などは超飽きっぽい性格なので次第に辟易してくる。最後の2022年度ともなると全33シリーズあって、振った指揮者はたったの6人(うち1人はコロナで急遽追加登板)だ。
何故こんなに限られるのか?理由はやはり「金」だ。国からの補助金がどんどん減らされ、独立行政法人は“企業努力”を求められるが、収入を増やすことよりも経費を削ろうとした挙句こうなった。そもそもGフィルの指揮者としての出演料はどの程度支払われているのかといえば、公演の主催・種類にもよるが、少なくとも大学主催の通常公演では常任(=常勤)は無料だ。これは他科の常勤教員がソリストとしてコンチェルトなどを演奏するときも同じくタダだ。非常勤や外部からの指揮者には規定の時間分手当が出ていると思うが、詳細は不明だが相当安いだろうと察する。実際に「ギャラが安いから」と、1回限りで二度と来なくなった指揮者もいる。
思い出の指揮者と演奏会
第220回前期定期
自分が入団した頃は、あの巨匠:山田和雄氏が振って下さった事もあった。最初に遭遇したのはまだ大学院生としてエキストラで乗った定期演奏会(1986年)で、メインはチャイコフスキーの第4交響曲。全身からほとばしる魂の叫びに、オケが唸っていたようだった。
第227回合唱定期
その翌年は丁度開学100周年記念演奏会が続き、極め付けがサントリーホールでの「グレの歌」で、指揮は若杉弘氏(←この公演も氏は無料奉仕だったそうだ!)。一生に1度吹けるか吹けないかという極めて大編成のこのオラトリオに参加できて嬉しかった。Gフィルがサントリーホールで演奏するのは、せいぜいまた次の100年後かも知れないが。
第284回前期定期
これをきっかけに、時折定期やオペラ・また学生の新作なども指揮して下さった若杉氏だが、もう一つ忘れられないのが演奏芸術センターの企画による「音と色彩」をテーマにした定期公演(1999年)で、一連のプログラムを最初はオケのみ・次に「光のパレット付き」と、要するに一晩でまるまる2回演奏したので多分オケのみならず、お客さんも疲れただろうとは思うが、全て最初から解説を交えながら振り切った若杉氏も素晴らしかったと思う。
第285回後期定期
同じ年の後期、ここで尾高忠明氏がGフィルに初めてやって来て振ったのがリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」である。あまり出身大学には拘りたくないが、この辺りから徐々に指揮者が“藝大系”から“桐朋系”に変わった感じだ。それから高関健氏・山下一史氏・広上淳一氏・梅田俊明氏と桐朋音大出身の指揮者が続く。もしかしたらこの演奏会がきっかけだったのか。尾高氏ご本人も「最初は敵地に乗り込んだ気分」と仰っていたが、当時のGフィルの魅力を存分に引き出してくれた。因みにこのコンサートは初の天覧公演で、両陛下ご臨席という訳で、もの凄く警備が厳しかった記憶がある。
第300回後期定期
そして藝大に巷で「炎のコバケン」と呼ばれている小林研一郎氏がやって来た。氏はオケを指揮する時のみならず、指揮科学生への指導ぶりもそれは熱かった。だが意外と藝大オケのリハーサルはいつもサッと終わった。学生にも「練習はできるだけ早く終わらせろ」と教えていたのが面白い。そんな氏の指揮によるマーラーの交響曲「巨人」やベルリオーズの幻想交響曲も印象的だったが、中でも圧巻だったのは2002年のスメタナの交響詩「わが祖国」全曲で、オケは倍管:つまり通常のほぼ2倍の人数で演奏するので、もの凄いサウンドだった。
第310回後期定期
新奏楽堂の開館後、定期公演で、開場から開演までの間に15分程プレ・コンサートを開いていた時期もある。当初はホワイエで演奏していて、自分も木管五重奏で出演したことがある(出演料は出る訳がない!)。そしてその日のオケの本番中、地震が起こった。1回目は休憩中だったが、反響板の揺れが止まらず、後半のドヴォルザーク「新世界」の演奏開始が20分位遅れた。そしてその演奏中に2回目が起こった。お客さんは騒めいたが、指揮者の佐藤功太郎氏はそれでも演奏は止めなかった。この判断は正しかったかどうかは判らない。2004年の「新潟県中越地震」がそれである。
第324回前期定期
グリークの「ペール・ギュント」といえば有名な組曲だが、組曲ではなくオリジナルの劇音楽として全曲演奏したのが2007年。指揮者は井上道義氏で、後にも先にも彼がGフィルを振ったのはこの1回だけだ。だがシリーズ中に彼は尿路結石を起こして、一瞬出演が危ぶまれた。何とか無事にコンサートは終えたが、自分も若い頃に体験しているだけに、相当痛くて辛かっただろうと察する。因みにこの時の「語り」はミュージカルスターの井上芳雄氏。珍しく藝大の正門前にファンの人達の行列ができた日であった。
第360回合唱定期
尾高氏は長らくイギリスで活躍されていた事もあって、エルガーやウォルトンなど、イギリスの作曲家による作品をよく採り上げていたが、2013年のブリテンの「戦争レクィエム」もその一つだ。この曲は編成に特徴があって、合唱付きのフルオーケストラの他に、小編成のアンサンブルが加わる。自分はそのアンサンブルで演奏したが、舞台上では丁度普段のコントラバスの首席奏者と同じような上手の一番奥の席だったので、右側の真横から指揮を見るという貴重な体験をさせて貰った。この曲にはソプラノ・テノール・バリトンのソロがいて、歌ったのは皆大学院の1年生。3人とも上手だったが、こういう時にプロもしくは教員が出てこないのはつくづく残念である。理由はやはりアレであろう。
他にも(良し悪しはともかく)思い出の公演はあったが、それは大体「法人化」から「オケ連加入」までの間に集中している。大学としても相当頑張って来た訳だ。そして何故か、自分としては加入後のコンサートでは特に“感動”や“歓び”みたいなものが残るものがない。何故だろう…?
ところで、言うなれば「番外編」としてとても印象に残る指揮者が1人おられた。
ブルーアイランド氏
2004年から2019年まで、3月に台東区主催の音楽鑑賞教室があり、この2日間は区内の小中学生が奏楽堂に集まってくる。指揮者はMCも兼ねるので、話も上手くなければ務まらない。何年かのサイクルで指揮科のOBOGが入れ替わり立ち替わり振っていたが、ある年度からかの有名なブルーアイランド氏が来るようになった。読んで字の如し、青嶋広志先生である。何を隠そう、嘗て自分が大学1年生の時に大変お世話になったソルフェージュの師でもある。
一時期はTVでもよく見かけた青嶋先生はとても個性的な方であるが、彼のMCと指揮はとても楽しく、子供達にも人気であった。教科書にあるような定番のナンバーだけでなく、オリジナルの音楽物語等も加え、その愉快な指揮ぶりに我々オケも思わず吹き出した事もあった。
大抵の音楽鑑賞教室は開演前にその学校の先生による「鑑賞中の注意」なるお話がある。そこで「演奏中は黙って聴く」とか「プログラムは静かにめくれ」とか「見るな」とか言われるのだが、青嶋先生は登場するや否や「さっきのは間違いです!」なんてきっぱり話すものだから、子供達もオーケストラも大ウケである。まさにその通りだと思うのだが、その翌年から青嶋先生はパッタリ来なくなった。畏らく区側の誰かがNGを出したのだろう。
外国人指揮者いろいろ
一方外国からの指揮者もやって来た。「客員」「招聘」という形で、何年かの任期付きで指揮者が招ばれて来たり、単発で振りに来たり、様々であった。歴代の外国人指揮者に対する私見は、これもまた語れば長いので別記事でレポートしておく。
ひとつ気付いたのは、Gフィルには本来指揮が専門でない人がよく振りに来るという事だ。元々は何かの楽器をやっていて指揮に転向した、というのではなくて、現在でも専門は指揮ではないのに指揮台に上がっているという事である。
そもそも現常任がピアニストだし、前学長はヴァイオリニスト、他にも作曲家・打楽器奏者・フルート奏者・クラリネット奏者etc. 図形が描ければ誰でも指揮ができるかというと、そんな簡単なものではなく、皆そつなく振ってくれているのは凄いと思う。だが、実際に現場で棒を目の当たりにして長年演奏していると、やっぱり“本業”との差はあるな〜と、非常に指揮の奥深さを感じる。
ただこれは昔からこうだった訳ではなく、2003年位から徐々に続いて来た事だ。そして前述の通り、次第にオケに来てくれる本職の指揮者が少なくなってきた。
そして遂に!というべきか、今年度の前期定期は指揮者なしでの公演という、Gフィル定演の歴史の中でも初めての試み(いい換えれば前代未聞の事態)がなされるそうである。指揮なしでどんな演奏になるのか、Gフィルの事だからきっとその団結力で語り種の名演になる事は間違いないと思うが、一方で(誰も振ってくれないのか…)という、えもいわれぬ哀しさを感じるのも否めない。
オーケストラはそれぞれ様々な個性を持つ人間が集まっている。指揮者も同じく強烈な個性を持っていて、その両者がぶつかり、切磋琢磨しながらある方向に音楽を持っていく。それがオケのコンサートの本来の姿であり、片方が不在のまま、ただ同じタイミングで出来ましたよと済ませるのは、入場料を払っていらっしゃるお客さんにもかなり失礼ではないか。
まあ…もうどうでも良いが。