オーケストラ,  藝フィルレポート

藝大フィルとの35年(その9)泥まみれのオーディション

衝撃的な募集要項

一昨年の4月のある日、藝大のホームページに「フルート奏者募集」の要項が張り出された。大変驚いた。パートナーであるOさんが定年退職されるので、その後任の募集なのだが、日付といい課題曲といい、全て勝手に決められている!しかもオーディションの日にちは自分の都合の悪い日ではないか!先ずはその全てをパートナーとなる自分に振ってくるのがプロオーケストラの常識というものではないか?

早速事務局に連絡。一体どういう経緯でこうなったのか?事務局からの返答はこうだ。「てっっきり湯本さんとT木先生(←フルート科准教授)で決められたものかと思いました」実際はT木が全部勝手に決めていたのだが、そもそも大事なオーディションなのだから、現場で働く自分よりも、関係ないT木の方に先に話を持っていく事自体、心外であり憤りを感じる。事務局長と事務局の連中・インペクのY田は平謝りだが、それよりもとにかくこの日にちを何とかしなければ、という訳で急遽募集要項は取り下げ、内容を作り直してもらうことにした。

同時にT木にも連絡しなければといくつかメールをするものの、殆ど梨の礫、最早自分と藝フィルなんかどうでもよいのだろうとしか思われかねない態度。

だがそんな事をいちいち突っついている時間はない。オーディション用のオーケストラスタディ課題曲集を作り、スケジュールを再調整し、何とか環境を整えていく。藝フィルはその演目の特徴から、オケスタの選曲は他のオケとはちょっと傾向が違う。これは今や自分にしか判らない事である。

書類選考と実技試験

ホームページにある募集要項は急遽一旦取り消し、日程等再調整に再調整を重ねた結果、応募締切日・第一次書類選考日・そして本実技試験日が決まった。

先ずは応募して来た履歴書&音楽活動歴を元に、実技審査への合格者を決めていく書類選考。メンバーはT木と木管セクションより自分も含めた3人(たったこれだけである)。時に大学はコロナ禍で退館時間も限られているので、実技審査は20人程度までに絞らねばならず、従来よりもその基準は厳しかった。

そして6月18日、本選考が行われた。先ずは予選としてモーツァルトの協奏曲第2番の第1楽章、その前半部のみ。これだけで最終選考者をふるいにかける。これを勝ち抜いた5人の受験者には、ピッコロも含めたオケスタの課題を吹いてもらう。

A.Y
最終投票結果

この写真からは解り辛いが、要するに票が完全に二分割された。17番の受験者が僅かに集めたが、自分は17番には投じなかった。パートナーにするには奏法にとある問題を感じたからのだが、票は票だ。この結果を運営委員の教員達が持ち帰って協議し、結局17番のA.Yが採用となった。

T木はオーデイションの前から「A.Yに入って欲しいな」と呟いていた。この僅差に対して彼女がどう判断したのかは判らない。自分の意見は反映されなかったが、かといって自分が反旗を翻す理由はひとつもない。かくなる上は腹を決めて彼女との1年半を上手くやっていくしかない。T木の思惑はともかく、純粋な気持ちでオーディションを全力で受けに来たA.Yには何の落ち度もないのだ。

決定権は楽員側には無し!

上の投票結果で1人の受験者につき赤い「正」の字が左右のエリアに分かれているのは、左側が実際現場で働いている楽員による票数、「運営委員」による票数である。常勤教員によるこの集団が藝フィルの何をどう「運営」しているのかどうか知らないが、その殆どはオケの活動には関与していない。元々メンバーだった先生も居る事は居るし、時折パートの首席奏者としてエキストラに乗ったりするが、それはほんの僅か。それ故、特にこのようなオーディションともなると、楽員の希望や意思とは裏腹の結果になることもしばしば。

例えば20年程前のあるトロンボーンのオーデイション。殆どの楽員が推していて、かなり票も集まったとある受験者が、当時の運営委員会側のある1人の“鶴の一声”で入れなかった。この教員はいろいろ“正論”をかましてきたが、実際にオケで彼の活躍ぶりを聴いている訳ではなく、この異様な事態に楽員皆釈然としなかった経験がある。

とにかくオーデイションは終了し、A.Yは秋から半年間の試用期間となったが、既に方々のオケでエキストラとして活躍していた彼女は1/3位は既に予定が入っていて乗れない状況。別にGフィルなんか受けなくたって良かったのにと思うのだが。

数日後に事務局からメールが。「湯本さんが居なければこのオーディション、こんなにスムースにはいかなかったでしょう」との事。自分はこの結果には不満だったが、ここでゴネるのはオケの為にならない。自分があと少しだけ我慢すれば良いのだ。そんなやるせない気持ちも知らずに何を呑気な事を言っているのかと、途端に定年の日が待ち遠しくなってきた。

そして今度は…

昨年の秋頃公示された「フルート・ピッコロ奏者募集要項」←これはつまり自分の後任の事だ。前回のゴタゴタの教訓を受けてか、今度はT木とA.Yが上手く連携したようだ。元々この2人は師弟関係ということもあるが、前回T木が自分と殆どコミュニケーションを取らずに進め、そして今度はそんな自分を2人で追い出す為にサクサク話を進める様は、正直言ってあまり愉快ではない。課題曲やオーケストラスタディの選曲も全て、結局一度も自分には話を振ってこなかったが、まあ辞める人間に対する仕打ちなんてこんなものである。

インペクがある日、自分にそのオーディション審査に参加できますか?と気遣ってきたが、そんな訳で丁重に断っておいた。もう誰が入ろうともう自分の知った事ではない、というのが本音である。

そうして自分の後任にはA.Hさんが決まった。実は彼女はA.Yが入った一昨年にも受けに来ていて、何を隠そうその時自分が票を投じた人である。という事は、A.Yとは奏法も音楽性もまるで違うという事だ。さてこの2人、2021年前半までの自分とOさんとはまるで違うフルートサウンドになる訳だが、他の管楽器セクションはどう感じるか?そして当の2人は上手くやっていけるかどうか?見ものであると言いたいところだが、もう興味はない。

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