年賀状あれこれ
年賀葉書が昔に比べて売れなくなってきているそうだ。昨今メールやSNSが発達し、新年の挨拶は“紙”ではなくこれで済ませてしまおうという傾向に因るとのことだ。昨今、高性能のパソコンまたはスマホ、そしてプリンタのお蔭で年賀状の印刷は劇的に早く、美しく、そして楽になった。それなのに年賀状離れが進んでいるのは、手軽さ云々よりも年賀状をやり取りする人間関係の変化にも原因があるのではないか?考えてみれば1枚52円〜は結構な値段だ。200枚買うと10,400円。次第に出す相手も選ばざるを得なくなってくる金額なのだ。
自分の場合、親戚や恩師等、お世話になった方々にはたとえ返信がなくとも毎年出している。面白いのは、親しく付き合っているからといって年賀状を出し合う訳ではないということ。逆にもう何十年もご無沙汰しているのに律儀にやり取りする相手もいる。出す出さないの基準や判断は、人それぞれいろいろと深いものがあり、ここではあまり論じられない。
とはいえ、例えば過去に1ぺんだけ仕事で一緒になっただけで(その仕事もどんな仕事だったか忘れ)あれから10年も20年も顔を合わせたことがなく、今後もまず会うことはないだろう人とかと未だに今年も宜しくする意味があるのか、と思われる人もいる。そんな人には何となく fade-out的な感覚で出さなくなっていく。
反対にこちらにも、親しい先輩後輩友人なのに、ある年からパタッと来なくなる事がある。いろいろな事情によるのだろうが、ともかく自分は大いに共感できる。何となく気が楽になるというものだ。52円プラス印刷の手間とは、そういう価値なのである。だからあんなにTVで嵐とかを使ってPRしている日本郵便も、本気で普及させたいのなら年賀葉書だけ値下げしたらどうか。
さて、以下は自分の年賀状にまつわるいろいろな出来事。
*同じ年に同じ人から2回届く事がある。多分最初に先方からウチに出した事を忘れ、こちらが返信したらまた返信して来たというパターン。
*友人のお父上で、実は会った事もないが、もう毎年毎年実に達筆な毛筆で書いて来る。幾ら付き合いが無いからとはいっても、この方には謹んで返信させて頂いている。
*両面とも印刷で一言も手書きのメッセージが無い賀状が大分増えた。つまり葉書を買って来てプリンタに突っ込んで後はそのままポストへ…。という訳で、自分も特にこの事に関するコメントは無い。
*宛先を間違えたか何かでウチに戻って来た葉書には「宛て所にたずね当たりません」という朱印が押されているが、いま一つこの文の日本語文法がよく解らない。言いたい事は解るが、もう少し解りやすい文はないものか?
*家族一人ひとりの近況が細かく並べられている賀状。最近は目が悪くなり、いちいち読み辛くなった。親しい人からのなら「へぇ〜、そうなのか」と楽しく読ませて頂いているが、それこそ会った事もない何かのイヴェントの代表者の家族なんてどうでもよい。そこで疑問なのは、この方、総ての人にこの同じ葉書を送っているのだろうか?
*毎年年賀葉書を何枚買うか?結構悩むところである。こちらから最初に出す“定番”とは別に、返信用に何枚位多めに買っておくか?足りなくなって買い足す事はなるべく避けたいのだが、それでも余るのは困る。大抵は使い切ってしまうが、その最後の1〜2枚は余るのは嫌だから出す相手だ。そういった所謂“片付け賀状”はウチにも何枚か来る。松の内も過ぎた丁度今時期によく届く。
*十数年前、祖母が他界して喪中だったのに、後輩から年賀状が届いた。喪中葉書を出しているのに、相手がつい忘れてしまったという事はまあありがちだが、この賀状には「先輩が喪中なのは知っていましたが、あまりにもこれが良く描けたのでつい出してしまいました」とあった。呆れた奴だが、コイツは現在某有名オケで首席フルート奏者を務めている。