ハルサイとチクノウ
Gフィル 第377回定期演奏会が終わった。これまでにない程の満員の大盛況で、とてもありがたい事だ。
今回はプログラムが魅力的だった。ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番とストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。ラフマニノフのソリストは有森博氏、ロシア音楽のスペシャリストだけあって、その演奏は圧巻であった。今回はメインがこんな曲だが、前プロ扱いというのが勿体ない位の名演であったと思う。
さて、自分にとっては何回目だかは忘れたが、Gフィルでの「春祭」は3回目。1回目は1988年10月24日五反田ゆうぽーと、指揮は外山雄三氏。前プロはプッチーニの「蝶々夫人」の演奏会形式の抜粋だった。2回目は1992年11月10日東京文化会館、指揮は佐藤功太郎氏。前プロはショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番他。
この時の演奏は2回共自分では不満だった。何と言ってもオケ全体がこの曲をちゃんと咀嚼し、消化しきれないまま終わってしまった感がある。自分は入団当初から既にストラヴィンスキーの3大バレエについてはマニアだったので、変拍子についていけない周りの様子がもどかしくてたまらなかった。
特に第2部のクライマックス「生贄の踊り」の変拍子は、当時自分の頭にはほぼ完全に頭に入っていた。それにはある理由があり、次の記事で後述するが、幾ら自分が頑張っても飛び出したり落ちたりを周りで頻繁にやられると、テンションも落ちるというものである。さぞかし指揮者も(ヘッタクソなオケだな)と思っていただろう。
あれから20と数年(メンバーは新旧ほぼ一新した)。今回の棒は高関健氏。それまでの過去2回よりも皆遥かにいい演奏で、ようやく自分達の「ハルサイ」に満足して帰る事ができた。因みにこの曲は3大バレエの中では最も編成が大きく、どのオケでも沢山のエキストラを要する。Gフィルの場合、昔はほぼ学生で賄っていたこともあったが、今回は春祭には精通しているであろう他のプロオケからの助っ人が結構参加してくれたのも、要因であったと思う。
しかし!同時にその「生贄」のリズムが自分の頭から所々虫喰いのように消えかかっていたのがショックだった。勿論パート譜を見ながら吹いているので問題はないが、幾ら大好きな曲とはいえ、長年離れているとやっぱり忘れてくるものなのか…。またひしひしと“歳”を感じてしまった。
話はちょっと変わって…
どうもこのシリーズ中は体調が優れなかった。3週間程前に風邪をひき、一旦は治ったものの、リハ開始の直前に右頬が痛くなり、しかも微熱が出てきた。これが本番までずっと続いた。ずっと続いたが、フエの方は頗る順調でしかも良く鳴っていた。多分息がいつもよりも暖かかったからかも知れない。
終演翌日朝、ようやく病院へ。
土曜日はパパが子供を連れてくるというのが多く、なる程〜と思った。
レントゲンまで撮られた検査の結果、右副鼻腔の蓄膿だそうだ。やれやれ…最近ブログで罵詈雑言ばっかり吐いているからバチが当たったか?演奏に支障はないものの、厄介である。