「洗練される」ということは…

土曜日 , 21, 12月 2019 Leave a comment

先月末の指揮科の学生による学内演奏会のリハから今月の定期演奏会の本番にかけて、ちょくちょくNHKが取材に来ていた。どうやらGフィル常任のT先生がそのターゲットで、Eテレの「ららら♪クラシック」という番組で「指揮者のシゴト」というテーマで番組を作っていたそうだ。

その中でT先生は、定期のメインであるマーラーの第5交響曲をご自宅でもの凄く“予習”し、各パートの細部まで手直しに手直しを重ね、曲全体を綺麗に整理整頓してから練習に臨む、という様子が放映されていた。先生のこのような作業はオケの中でも評判で、限られた時間の中で効率よくリハが進む為の大切な仕事である。

どうやら先生はマーラーについては特に詳しいようで、昨年の同じ時期に彼の第7交響曲を演奏したが、ここでも同じような綿密な校正版のパート譜が回って来た。しかもそれは京都のオケが管理している“門外不出”の楽譜だそうで、コンサート終了後は直ちに回収、コピーもNGとされた。それはそれで別に構わないのだが、果たしてそこまで究極の手直しをしていいものかどうか…ちょっと疑問を感じた次第である。

マーラーのスコアは細部に渡って実に細かく表記してあり、その譜面面(ふめんづら)からしてかなり几帳面で神経質な人だったと察する。しかし一方で、その割にはチョンボも少なからずあり、忘れっぽかったり無神経だったりと、いうなればとても人間味にも溢れていたのかも知れない。スコアのちょっとした不統一性等はそういった人間味の表れかなァ…などと自分なんか思うのだが、T先生はそれを全部直して綺麗にしちゃうのである。

そうした譜面で演奏した結果、マーラーという人がかなり神がかってしまったと思うのだ。もう少し“近い人”であってほしかった、というのが個人的な本音である。

因みに、自分が好きでよく聴いていたLP、例えばカラヤン・ショルティ・バーンスタイン等の古い録音では、そういう細かい点はあまり憶えていないが、全体的に大らかな印象が残ったりする。例えば縦のリズムラインは多少適当だったりとか。しかしながら、その演奏を聴いていると、何となくやっぱりスピーカの前に“グスタフ・マーラーさん”の存在をより強く感じ、且つ指揮者と上手くコラボしている様子が実に面白かった。

また、自分も過去にインバル氏・ベルティーニ氏・セールスタム氏等の棒で、別のオケで既に経験済みだと(因みにどの指揮者でも細かい手直しは殆どなかったと記憶している)「細かい事はとにかく、皆さんどんどん遠慮せずに表現し給え!」的なマーラーの方が遥かに好きになってしまっている。

それだけに「ららら〜」のオンエアを観ると、妙に釈然としないものが残る。上手く言えないが、楽譜と指揮者と演奏者の三角関係はもっと奥深いものがあるような…。

 

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