思い出

節目の年 その1

今年2025年はいろいろな節目の年である。

世間一般の話では、まずは換算すると昭和100年に充たるそうだ。その影響なのか、メディアでは所謂「昭和ブーム」が話題となっている。ブームとはいっても、昭和の時代を懐かしむというよりは、現代とのギャップを面白がっている感じだ。あらゆる事柄について「昭和はこうだった」といえば、今の若者が「え〜そうだったの?信じられない」という具合だ。

だがこの昭和という年号は実に長く63年も続いた。自分だって幾ら昭和とはいえ、戦争だって関東大震災だって経験していない世代だ。自分達の世代にですら信じられない事実や価値観が沢山あった訳で、今の“ギャップ番組”が採りあげているのは、それこそ昭和の後半から平成の前半(インターネットが出てくる辺り)の、戦後からもの凄い発展を遂げてきた大体50年間程であろう。それ以前の昭和はもう、今とのギャップを面白がってなんかいられない程苦しい時代だったに違いない。その戦争、第二次世界大戦の終戦から今年は丁度80年だそうだ。この終戦をはじめ、今年は様々な悲惨な出来事からも節目の年である。流石に終戦時は未だこの世に生まれてはいなかったが、その後の数々の悲惨な出来事は既に自分は大人になっていた。

悲惨な出来事

1月

阪神大震災。その日自分は某オーケストラでエキストラの仕事をしていたが、リハの休憩時間は楽員控室にあるTVに指揮者も一緒に釘付けだった。あの日から丁度30年。

3月

地下鉄サリン事件。朝TVを見ていたら、先ず画面下に「ニュース速報」のテロップが。そして間もなく番組が突然中断され、画面にはパニック状態の地下鉄の駅が映し出される。警察の「危ないから下がって!」という叫び声は今でも衝撃的だったと感じる。あの日から丁度30年。

4月

福知山線脱線事故。この日もやはり自分は別のオケのリハーサルだった。同じように休憩時間は皆TVに映し出されるあの悲惨な光景に釘付けだった。あの日から丁度25年。

8月

日航ジャンボ機墜落事故。この日は一応「合宿」という名目で、アンサンブル仲間で北軽井沢の山小屋に居た。その小屋はTVが無く、ラジオのニュースで知った。大変な事故なのに妙に落ち着いた口調で話していたので、その違和感が印象的だった。事故現場とは割と近い場所だったので、ヘリコプターの音が時折聞こえた。あの日から丁度40年。

時の流れ

こうした一連の事故や事件に関わっていた方達は、皆一様に時の流れを感じていないと言っている。そして風化させてはならないとも言っている。自分も同感で、30年40年経ってもこうして思えばつい先日の事のようであり、同時に今後もこんな事が起きないよう願うばかりである。

しかしながら考えてみれば、これだけ節目が重なったのはつまり下1ケタが「~5」という年号だからで、ということはこの「~5」年に何かが起こりやすいという事か?巷では今年2025年は7月5日に大災害が起こると予言されていて、基本的に非科学的な事は全く信用しない自分であるが、これを機に防災・危機管理意識は高めておかねばと思う今日この頃である

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です