暗譜するという事
リサイタル「弦楽器名曲集」が無事終了した。年末の慌しい時期なのに沢山のお客様にご来場頂き、つくづく感謝である。
今回もほぼ全曲暗譜で吹き通した。唯一、自作の「パガニーニの主題による変奏曲」のみ楽譜を見たが、あれは一応“新曲”なので、「新曲は楽譜を見て演奏する」というマナーに従ったまでである。実際はあんな小っちゃい音譜、最早全然見えちゃいないし。
よく人に「暗譜で凄いですね」と言われる事があるが、自分としては全然凄くも何ともない。寧ろリサイタルなんかは一般的に全曲暗譜が常識であるべきである。人様から高い入場料金を頂いておきながらチマチマと譜面を見て演奏するなんて、お客様の前でまだ練習しているみたいで失礼千万。楽譜を見ても良いのはまあ、アンサンブルとか先述の新曲とか。新曲は「作曲家とその作品=楽譜に対して敬意を払う、という意味なので、たとえ憶えていても譜面台に楽譜を置いて演奏しろ」と師匠に教わった。アンサンブルに関しては、細かい合図や打ち合わせなどメモ書きする事が多いからだが、それでも「上野の森金管アンサンブル」などはよく暗譜で吹いたりしているし。
第一、世のポップスミュージシャンからアイドル歌手まで、1コンサート終始暗譜で歌っているではないか。振り付けまで含めて。ましてや歌詞なんか多分お客さんも詳しく知っているだろうから、絶対間違える訳にはいかないだろう。それを考えるとクラシックのリサイタルなんて、まだまだ甘っちょろいものである。
暗譜をすると目線はもう前を向くしかない。だが演奏者と聴衆との間の「楽譜」という壁が消える事によって、楽曲が自分の物になって自分の身体から直接お客様に語り伝える事ができる。本来コンサートというのはそういうものだ。
とまあ、ここまでエラそうな事ばかり述べている自分だが、実は自分だって演奏中に頭が真っ白になってしまった事や「楽譜を見てさえすれば間違えなかった」ミスというのも多々ある。今回のリサイタルでも実はちょいちょいヤらかしてしまったし。
だが昔っから様々な曲を暗譜して吹いてきた自分が最近思うのは、そんなに隅々まで完璧に憶えなくても大丈夫じゃないかという事。昔はもう「120%憶えて臨まなくては!」なんて思っていたが、兎角音楽は時間芸術、ある程度のところまで憶えていてあとはその場の雰囲気に応じて“即興的精神”で乗り切っていく…これもその演奏者そのものの音楽表現という事だと思う。
暗譜の重要性・必要性については昔にもブログの記事で述べたが、まだまだいろんなエピソードがあるので、また後日に。