ソノリテと音の“方向性”
且つて「フルートの神様」といわれたマルセル・モイーズ氏の書いた「音のソノリティについて」という教則本がある。通称「ソノリテ」プロもアマチュアもほぼ皆んな知っている本だ。最初に出て来るのが半音階で降りながら音質を研究するメソッドで、いうなればロングトーンのバイブルみたいなものだ。
奏者は最初のH音を綺麗に作って、それを壊さないように次の音に繋いでいく。慣れてきたら次第に距離を延ばしたり、半音ではなく、1段飛ばし、2段飛ばし〜で降りて行く…。
基本は最初の音質を大切にキープして行くこと。Hと隣りのA♯の違いは“ただ右人差し指が1㎝程降りただけ”であり、それ以外は何も変わっていない筈だ。
このように気を遣って降りて行くのに、最低音に至る頃には結構音色が変わってしまう。まるで小学生の頃にクラスで遊んだ「伝言ゲーム」みたいである。
ま、これはフルートの特性上仕方のない事であり(そうモイーズも述べている)ある一定の枠内で出来るだけ音色を統一してみる…なんて練習を重ねていくうちに、次第に音色に磨きがかかってくる、という訳だ。
ところでこのメソード、1番最初の楽譜だけ、何故か4拍目から次小節へのアウフタクトという書き方をしている。
これが何を意味するのか?モイーズ氏に何か意図があったのか?ご本人に訊いてみない事には何とも言えないが、まあとにかくアウフタクトで書いている以上、4拍目から次の1拍目への何か引力みたいなものがある。今引力と述べたが、言い換えればメロディがいつも楽譜の左から右に流れている以上、時折その中に目標となる音や音列があって、そこに向かいたいという方向性が生まれる。
この方向性を表す方法として、手っ取り早いのはクレッシェンドをかけたりヴィブラートを濃くしたりするが、方向性とはそんな安易なものでもない。長くなるのでここでは省略するが、音そのものの質や音圧、それに『気』とか…いろいろ言葉には表せないものがある。
つまり、ここのアウフタクトに於いて、確かに方向性は明らかに感じられるものの、安易にクレッシェンドやらヴィブラートやらかけてしまうと、この課題本来の音の同質性という目的からかけ離れてしまうのである。ここはひとつ、次の1拍目に向かいたいッという気持ちは大切にしながら、真っ直ぐな音で丁寧に降りていくべきであろう。2つ目以降の下降型がアウフタクトで書かれていないのは、そういう意味で変な癖がつかないように、ともくみ取れる。
先日、銀座の楽器店でのレクチャーにて、講師らしきオッサンはこの楽譜をどう「表現」するか、鬼の首でも取ったように力説していたが、まんまとこの落とし穴にハマった訳だ。
つまり、堂々と皆の前で小汚い音でヴァウアウァと変な揺らしをかけていたのだが、クレッシェンド等の鍛錬は何もこの半音下降でやらずとも、この本の次に出てくる「低音の柔軟性」の章にて十分できる筈だ。この章の存在を知らないのかも知れない。
とはいえ、自分だってこのソノリテにマンネリズムを感じた時にヴィブラートをかけたり音量に変化をつけたりもしているが、あくまでも面白がってわざとやっているだけであって、良い子は真似しない方がよい(笑)
常習性がつくと非常にヤバいという事は、このオッサンで証明されていた。
ソノリテには2つ難点がある。一つは説明文がちょっと分かり辛い事。もう一つは高価な事。薄っぺらいくせに5,000円以上もする。だが、そんな訳で最初のこの課題だけは楽譜がなくとも、とりあえず先生から生徒に直接吹いて真似させる事で、丁寧に音作りの方法を伝える事ができると思う。だがしかし、それはあくまでも先生の奏法に間違いがなければの話。そうでなければ、それこそ伝言ゲームよろしく子弟子〜孫弟子へととんでもない吹き方が伝わっていく恐れがあるのだ。