人生を語る音色

先月開催された「プロのアドヴァイスがもらえる発表会」の参加者の中にお一人、とある高齢のご婦人がいた。その方、実は翻訳家だそうで、終演後にご自身が翻訳された小説の文庫本を頂いたので早速読んでみた。それがこれ。


なんとこの小説、2016年に『本屋大賞』(翻訳小説部門)1位を獲っている。

とある離島にただ1軒だけある本屋の店主の半生と、彼をとり巻く人々の人間模様を描いた作品で、読んでいるうちにどんどん引き込まれていき、読み終わった時にはとても感動して胸が熱くなりさえした素晴らしい物語。詳しい内容は割愛するが、一つ感じたのは何となくここの主人公:A.J.フィクリーが自分に似ているなということ。それは、ある場面に直面した時に、もし自分だったら同じ行動をとるとらないとかいう事ではなく、主人公の台詞の奥底に時折見え隠れする深い気分みたいなものに妙に共感するのだ。

言語はどんな風に表現されているのだろう?とにかくそれを日本語の持つ“わび・さび”的な色合いを含む言葉に替えていく作業はそうた易いことではない筈だ。思うに、人の人生の物語を書いたり訳したりするには、ある意味それ以上の人生経験が必要かも知れない。顧みれば先日の「プロのアドヴァイス〜」でのこの翻訳者の方のピアノは、演奏自体は多少は辿々しくもその鍵盤のタッチは、一音一音そんな人生経験が感じられるとても美しい音色だったのが改めて思い出される。

ところで「離島の本屋」なんて言うと、かなり昔の物語かと思いきや、意外と舞台は現代で、GoogleとかSkypeとか出てくる(笑)そんな中、この店主が電子書籍のタブレットを(当然ながら)揶揄する場面が出てくるが、考えてみれば自分もここ数年“紙の本”なんて読んだことがなかった。ましてや外国の小説なんて、昔シドニィ・シェルダンにハマったことがあったが、それ以来もう20年以上は触れていない。今回とてもいい本に巡り会えたので、これを機会にまた和洋様々な小説を読んでいこうと思う。


家では練習やらアレンジやらで読む暇がないので、読むのは専ら通勤の車内。周りが(ほぼ全員!)スマホをこすっている中、独りだけ文庫本を読んでいる自分はなかなか嫌いではない。


カテゴリー: 感想・意見, 日常・趣味 | タグ: , , , | コメントする

話術

毎年この3月、Gフィルは台東区の音楽鑑賞教室の仕事がある。区内の小中学生を奏楽堂に招いて1時間程のコンサートを3回。音楽の教科書に乗っている名曲をはじめ、楽しいプログラムが並ぶ。また最近は藝大の「ジュニアアカデミー」の受講生のうち優秀な子供をソリストに招いてコンチェルトを演奏している。子供とはいえ、目を閉じて聴いていると大人が弾いているみたいに上手なので、毎回本当に驚いている。

小学校を対象とした本番では、オケ伴で全員で歌を歌う場面もある。「気球に乗ってどこまでも」とか「ビリーヴ」とか。中学生を対象とした本番では、指揮者体験コーナーというのもあった。そして楽器紹介。各楽器毎に何か1節演奏し、なかなか内輪でも盛り上がる場面。

と、ここまでは他の音楽鑑賞教室とあまり変わらないが、この奏楽堂には立派なパイプオルガンが備えてあるので、このパイプオルガンのソロ演奏というのが挟まる。Gフィル音教ならではの特徴的なコーナーであろう。

さて、こういうときにコンサートを如何にスムース且つ面白楽しく進められるかというのが司会進行の腕の見せ所だが、当鑑賞教室では指揮者がこれを兼務している。つまり曲間で指揮棒をマイクに持ち替えてMC…ってことになると、音教の指揮者はある程度話術にも長けていなければならない。これまでにこれを務めたのは4人。初代からのこのMCを思い出してみると…

初代(S氏)
とても流暢にお話しされるが、少々喋り方が早過ぎるかも。言葉の最後に必ずといっていい程「〜という風に思います」が付く。ある時ヴァイオリンの弓のことを「馬の毛の尻尾でできている」と解説していたが、正しくは「馬の尻尾の毛」だ。やはり棒を振りながらだと、多少は脳内もテンパっているようである。

二代目(A氏)
本業は指揮ではなく作曲家。従って振りっぷりもそれなりだが、とにかくこの方はお話が面白い。面白過ぎる。子供達は大喜びだしバックのオケも大爆笑。しかしある年、確かにコンサートは楽しく聴くものとはいえ「『あの楽器何?』『あの人カッコイイ』『綺麗な曲だね』って隣の人とお話しながら聴いてていいんですよ。さっき音楽の先生が『静かに黙って聴きましょう』なんて言ってたけど、あれは間違いです!」なんてその先生の前でおおっぴらに述べていて、次の年からは来なくなった。あれが原因かどうか知らないが、とにかく残念。

三代目(T女史)
藝大指揮科出身の若い女性。お話も端正でとても解り易く、才女という印象。それだけ。

そして昨日は新しい指揮者Y氏が。それこそ数年前まで学生だった若手で、トークはまだまだ緊張していた感じだ。四代目となるかどうかは判らない。


ヴァイオリンのソリスト(藝大Jr.アカデミーの中学1年生)にインタビューするY氏。

まあ考えてみれば、無理に指揮者がMCを兼ねる必要もなく、苦手な場合はプロの司会者を立ててもとは思うが、まあ予算にも限りがあるのだろう。バックのオケだって、フルートなど本来3人必要なのに2管で抑えられている位だし。


カテゴリー: オーケストラ, コンサート, 演奏会報告 | タグ: , , | コメントする

受難節音楽礼拝

1週間後に控えているこの時期恒例「受難節音楽礼拝」。イースターに合わせて、銀座教会の大礼拝堂にて縮小版の「マタイ受難曲」と共に礼拝が行われる。クリスチャンでもあるフルートの師匠の照会でこれに参加するようになったが、自分は別にクリスチャンではなく、純粋に仕事としてバッハを吹いている。

数えてみればもうこれも今年で12回目だ。その内容はほぼ毎回同じなので大体の流れは元より、曲も半分位は憶えてしまった。ザッと紹介するとこのようになる。

♪ 牧師さんの進行で、全員で賛美歌を1曲歌い、お祈りをする。
♪ マタイ受難曲本編開始。最初の合唱の後、アリアとコラールを数曲。
※原曲にある福音史家(エヴァンゲリスト)によるレチタティーヴォは、ここでは牧師さんが歌わずに朗読する。
♪ アリア「憐れみたまえ』(有名なヴァイオリンソロ曲)が終わったら、ここで伝道師登場。長いお説教、続いて献金。
♪ 演奏再開。途中、イエスが群衆に痛めつけられる場面でマタイ中断。全員起立し、賛美歌「血潮滴る主の御頭」を歌う(オルガンの伴奏。オケはじっと待っている)。
♪ 全員着席。マタイ再開、終曲の合唱まで一気に演奏。
♪ 最後に牧師さんによる演奏者の紹介があってからお開き。

ここまで大体2時間。マタイはガチで演奏するとオーケストラと混声合唱が左右に2体、ソリストと児童合唱というもの凄い人数で、演奏時間も約4時間という大曲なのだが、この銀座教会ヴァージョンはヴァイオリン2人、ヴィオラ1人、チェロがいなくてコントラバスが1人、フルート2人とオルガンの計7人で演ってのける。ソリストは3〜4名。曲数も元の3分の1程度にカットされ、そして歌詞は終始日本語だ。

メンバーも毎年ほぼ同じである。フルートは最初は1st.が師匠、2nd.が自分であったが、2年程前から交代して今は自分が1st.を吹いている。その2年前まではソプラノのソロが五十嵐郁子さんという音大の先生で、メチャクチャ美しい声の持ち主だったのだが、残念なことに他界されたそうだ。なので次の方にバトンタッチせざるをえなかったが、多分本番ではこの礼拝堂の何処かで聴いて下さっているだろう。

開演前、出演者達は1ヶ所に集まって「コンサートが上手くいきますように」というお祈りをする。皆項垂れて、最後に「主イエスキリストの御名によって云々〜」と牧師さんが宣うと、それに合わせて全員「アーメン」と唱和するようだが、クリスチャンでない自分はその様子をボーッと眺めながら、フルートの有名なオブリガート「愛故に」のブレスをどうしようか、いつも考えているのである。


カテゴリー: オーケストラ, コンサート | タグ: , , | コメントする

三角関係

所謂大手の音楽教室というものは生徒と先生の間に先ず「窓口」というものが存在する。入退会の申し込みや時間についての諸連絡などはこの窓口(=受付)に対して行ない、その担当者がそれを先生に伝える。例えば「電車が止まっちゃったのでちょっと遅れます」とか「体調が悪いので今日はお休みいたします」とか。

だが生徒さんからの「来週は旅行に行くのでお休みいたします」「仕事の都合でできれば時間を変えて頂きたい」といった要望や、逆に先生側の都合によるレッスンの変更などは、窓口を通さず直接やりとりし、その結果を受付に伝えておく。

…なんて事はまあ、よくあることだ。別に何も拘る事はない。


*****[窓口]*****
Ⓐ/      \Ⓑ
[先生] – Ⓒ – [生徒]

Ⓐ:スケジュールについての諸連絡
Ⓑ:入会・退会・急な連絡等
Ⓒ:実技のレッスン、そしてⒶと同じ内容


だが例えば「今月いっぱいで退会します」という連絡についてはどうか?もし退会の予定が決まっているならば、理由はどうあれ、これは生徒から先生に前以て直接伝えるべきであろう(上の図ではⒸに入るべきであろう)。何故なら先生は、今レッスンしている曲の進み具合から退会後の指針を示したり、気をつけるべき点などをアドヴァイスしておく必要があるからだ。

ところが、最近は先生に「辞めます」とは一言も言わず、受付だけに伝えて突然居なくなる生徒が後を絶たない。1人2人ならともかく、気がつけば今教えているレッスンセンターでこれまでに10人は下らない。中には連絡すらせずに消息を立つ生徒も。それも皆れっきとした社会人である。大人としての良識というものをつくづく疑わざるをえない。

最近も立て続けに2例あった。一人はとある初心者の男性。この人はかなり音も出てきて順調に進んでいたのだが、ある日レッスン時間になっても姿を現さないので受付に訊いてみたところ「退会しました」との事!しかももう1ヶ月も前にその予定だったそうだが、レッスン中は彼から何のアナウンスもなく、それどころか「じゃまた来週」「はい」なんて挨拶を交わしたばかりなのである。60代男性。立派な大人であるべきなのに、もう人を小馬鹿にしているとしか思えない、信じがたい言動。

もう一人はやはり初心者。OL。こちらはどうやら仕事が忙しくてなかなか練習する暇がなかったようだが、それでも音はしっかり出ているので、音階から簡単な曲まで1曲1曲確実に作って進んできたのだが…ある日連続して無断欠席するようになった。こちらは当然待ち惚けである。ごくたまに「体調が」「仕事が」と、欠席のメールをしてくる事もあったが、基本的には電話は全然繋がらない。そうこうしているうちにもうかれこれ3ヶ月も顔を見ていないが、月謝は自動引き落としなので、既に5万円以上もドブに捨てている事になる。練習していなくても顔さえ見せれば、いろいろアドヴァイスできるのに。2oと数万円の楽器をローンで購入した人だけに、この金銭感覚が自分には全く理解できない。

そう、上記2名に関する共通点は、入会に際してマイ楽器を新しく購入したばかりという事。折角買ったのに…と思う反面、考えようによってはまだ新品に近い状態の方がオークションに出し易いとも言えるのか。興味が失せるや否や売ってしまうのも、何か悲しいものがあるが…。そして何故かこの二人、両者共サキソホンの経験者でもあった。まあこちらはただの偶然であろうが。

個人レッスンでは、当然先生と生徒の間で入退会も諸連絡も全部直接する。技術的な事だけでなく、相談にも乗ったり乗られたりで、楽器を通して人間同士のコミュニケーションを深めていく事ができる。この両者とのに「窓口」が入ると、どうしても事務的な連絡はこれを通さざるを得ない。この“三角関係”は勿論便利な時もあれば、このように残念な思いをする事が多々ある。一言も挨拶なしに辞めていけるのは「お金さえ払えば」という驕り高ぶった感覚によるものであろう。生徒=お客という感覚をどの程度持つべきなのか、持つべきではないのか、その辺りのバランスが崩れちゃうとこういった人間に成り下がってしまう。

思うに、こういう風に教室や先生に迷惑や心配をかけまくっている人というのは、元々そういう性格なのであろう。「三つ子の魂百まで」とは言うが、恐らく会社でも同じように顰蹙を買いまくっているかも知れない。まあ、自分には関係のない事だが。


カテゴリー: レッスン, 感想・意見, 苦情・批判 | 三角関係 はコメントを受け付けていません。

書く講評と話す講評

今月初めの恒例、「さいたま市ジュニアソロコンテスト」の審査では参加者一人一人に各審査員からの講評用紙が渡される事になっていて〜これはどの大会でもあると思うが〜今回2日間で枚分を次から次へと書く作業は、このテの審査員経験者なら誰もがキツいと思っているだろう。書きたい事が沢山ある演奏などは、書き終わらないうちに次の演奏が始まったり終わってしまったりする。だから結局要点だけになったり、殆ど書き殴りになったり、終いには手が痛くなったり。

例えばだが、こんな講評『とても情緒豊かに演奏していましたね。音も高音から低音まで伸びやかに出ていたと思います。ただ、ブレスの直前の音の処理がちょっと雑だったかな?テンポの速い部分では16分音符の動きが転ばないように丁寧に吹きましょう』という文面だったとする。

計測してみた。これを書き終えるまで、もの凄いスピードで書き殴って1分50秒。考えながら書くと多分2分半から3分かかる。参加者の持ち時間は4分。つまり半分程聴いて、その時点でもう書き始めないと、その後どんどん遅れをとってしまうという完全流れ作業。勿論その中で点数も付けなければならない。

そんな時間的制約+自分の文才の乏しさ故、本当に自分のアドヴァイスは演奏者に伝わっているのかどうか?と不安と反省の入り混じった気持ちが続いていたところで、今度は講評を書かずに話すだけ、という珍しいお仕事を頂いた。


先週の土曜日に開催された「プロのアドヴァイスがもらえる発表会」。こちらは審査ではなく、聴いたそばから客席でマイクを持って演奏者に直接伝えるというシステムである。アドヴァイザーは自分の他にはピアニストとヴァイオリニスト。なので、参加者もピアノ、ヴァイオリン、そしてフルートと多様である。

今回参加者は7名、各演奏に対して3人のアドヴァイザーが専門・専門外を問わず講評を喋る。アドヴァイスの持ち時間は一応一人2〜3分程だが、それでも喋るだけだから先程と同じ2〜3分でも沢山の事を伝える事ができた。

これはこれまでにない、実に素晴らしい企画だなと思った。例えばフルートの演奏に対して、自分は専門的な事が言えるが、ヴァイオリンの先生からは弦楽器の視点から、ピアノの先生からはピアノの視点からアドヴァイスがされる。そうすると自分でさえ「あ〜そうかぁ」と“目から鱗”的な発見がある。演奏者にとっては尚更であろう。今後楽器を練習するモチベーションも更に上がるというものである。

参加者も聴講者もちょっと少なかったのは残念かも知れないが、まあ第1回企画としてはなかなかのものであり、今後この企画が発展して沢山の人達が集まってくることを願ってやまない。

記念のクッキー


この企画、会場は横浜市栄区にあるとても綺麗な市のホールで開催された。そう、埼玉からは遠いのである。地元の方が個人で企画し、鎌倉市の文化協会の後援で実現した。一方こちらのジュニアソロコンは参加者500人超えの大盛況なので、講評を直接喋るなんてまず実現不可能だが、さいたま市でもこんな企画があればいいのに、とつくづく思うのである。文化意識向上の為に市の文化振興事業団の方、如何ですか?


カテゴリー: 感想・意見, 演奏会報告 | タグ: , , | コメントする