中川家

大変珍しく、お笑いのライヴを観に行って来た。新宿はルミネ吉本にて開催の「中川家の特大寄席2017」で、いやはやもう~顔が痛くなる程の大笑いであった。

お笑いのブームといえば、自分にとっては今日まで3つ位の波があったか?

最初は1970年代位?クレイジーキャッツ・てんぷくトリオ・レッツゴー三匹・渥美清・フランキーそしてドリフターズあたりに大ウケしていた。

10年程経って1980年~次にかのツービート・オール阪神巨人・B&B・ザぼんち・明石家さんま・片岡鶴太郎あたり。

そしてまた20年、現在の芸人ブーム。M-1R-1グランプリでいろいろ出てくる人達。中川家は2001年に第1M-1で優勝した2人だ。

実は自分はこういったお笑いが大好きだ。なので逆に中途半端に面白いんだか何だか判らないのには絶対笑わない。今のお笑いは割とそんな感じだ。昔は全員面白かったのに。

なので周りが笑っていても易々とそれに乗らない自分は、例えばオケなんかでは割と怖い人に映っているかも知れない。要するに笑いのツボが結構深い自分だが、逆に変なところでハマって、自分だけ可笑しくてたまらない事もある。

で、話を中川家に戻すが、この日のライヴは大きく4部構成になっていて、第1部は普通の漫才。第2部は「スーパーマーケット」を舞台としたコントネタ。第3部はショートコントが8連発程。そして最後はまさにその「M-1グランプリ予選会」を舞台としたコント。そのどれもがとにかく面白い。休憩は無いが、各部の間に会場の両脇にあるスクリーンにちょっとした街頭インタビューが映し出される。この編集がまた色々と可笑しかった。

まあ、何処が何故どう面白いかなんて論じても仕方ないが、ひとつ言えるのはお客さんの気持ちや空気といったもの瞬時に感じ取り、サッと切り返していくその進めっぷり、アレは才能だと思う。だから笑いのポイントがこちらとぴったり合うから、何だか大笑いした後スッキリするのだ。それこそ昔のツービートやドリフに大ウケしたあの感覚。ふと見回すと自分と同年代のお客さんがかなり沢山いた。やはりそうか…と思う。

ちなみにこのチケット代は3,500円。自分のも含めて、巷でよくあるリサイタルとほぼ同じ額ではないか。時間もぴったり2時間。音楽会と比べるのも変だが、いろいろ考えるとやっぱり割安だった思う。

夏の暑さと日頃のストレスを吹き飛ばす、とても有意義なひとときであった。


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戦歿者追悼式2017

吹奏楽関係の仕事も一足早く終わり(教えている学校は今年は上に行けなかった)、ひと息ついたところで、今日はお馴染みの日本武道館へ。恒例:藝フィルでのBGM演奏だ。例年ならカンカン照りの太陽の下「あぢぃ〜」なんて言いながら行くのに、今日は珍しく雨。いつもより涼しいとはいえ、やはり控え室に入った時は蒸し暑くて汗だくだ。

田安門の所で何かやけに報道陣が多いなと思ったら、そのカメラのターゲットは1人の車椅子に乗せられたお婆さんだった。TVのディレクターらしき人が「ハイ、サイコーレー入ります」とか無線で話していたので、どうやらこの方は遺族の中でも最高齢の人らしい。一体おいくつなんだろう?一番歳とってるってだけでこんなに話題になるということは、それだけ周りの同世代のご遺族が減っているってことだ。

本当に毎年毎年、判で押したように同じようなスケジュールで同じ曲をやって帰る藝フィルだが、ふと気づくと周りの人達が替わってきている。全国から集まってくるご遺族の方々…遺族といっても、その亡くなられた方との関係は配偶者、子供、孫、甥姪…いろいろであろう。配偶者は元より、その子供に当たる方々だって終戦から72年も経つと既に高齢である。亡くなってしまったり、身体が辛どかったり、その理由はいろいろあるだろうが、とにかく確実に出席者数は減ってきている。現に今回、遺族代表として追悼の辞を述べた方は、戦死した人の息子であるが、もう83歳だそうだ。

となると、8月15日に必ずここに来ている人は、この中で一体どれ位いるだろうか?よくよく考えてみると自分は意外と古い方かも知れない。

自分がこのBGM演奏に初めて参加したのは1986年。この31年間、今日に至るまで降り番だったのはたったの5回程。その間総理大臣はバンバン変わるし、指揮者もよく変わるし、周りのオケのメンバーだって世代交代があってもう自分より若くなっているし、何より陛下さえ「昭和」から「平成」に変わってる訳だし。

そのうち一番沢山ここに来ている人ってことで、カメラのターゲットが自分になるのでは、、、と言いたいところだが、実はオケの中には自分よりも更に上が4人もいるのである。その人達が“卒業”しない限り、それは自分には有り得ない。

そして将来、確実にこの戦争の体験者はいなくなる。既に凄惨な記憶が薄れつつある日本であるが、くれぐれもこんな悲劇はもう二度と繰り返されることのないよう、願っている。


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台無し

一昨日昨日と、藝フィルは録音の仕事があった。会場はいつもの通り奏楽堂にて、このようにマイクを立てたり下げたり。

内容は区内の小中学校の校歌のカラオケ録音だ。全部で22曲もあるので「え゛〜っ」と思ったが、よくよく考えてみたら逆に妙に少ないかも知れない。で、蓋を開けてみたら、現在までに廃校または統合されて消えた学校のみのそれで、いわば永久保存用だそうだ。伴奏のみをオケ用に編曲し、嘗ての卒業生に歌い懐かしんで貰おうという“粋”な計らいか。

奏楽堂を使ってのレコーディングは、慣れないせいか最初はぎこちなかった。ステージと調整室のコミュニケーションがなかなかスムースに行かず、次第に空気が固まってくる。

だがそれよりも別の不満がオケ内に少しづつ湧いてきた。皆苦虫を噛み潰したような表情で演奏している。それは何かというと…編曲の悪さだ。

進行表によると、主にG大作曲科の若いOBOG達が1人2曲づつ編曲を担当している。原曲の作曲者は古関裕而氏、信時潔氏、高田三郎氏、田村虎蔵氏、堀内敬三氏…と日本の音楽界を牽引してきた凄い人達の名前が並ぶ。昭和の香り漂う、古き佳き名曲揃いだ。

なのにその編曲は…全部ではないが、時折その校歌の魅力を台無しにしてしまうものがしばしば。総括ディレクターM教授の流石に困ったような声が、調整室から漏れてくる。

そんな中、遂にあまりにも最悪な編曲が1つあり、その中で特に酷い部分は制作サイドでカットされたのだが、それでも全体としてはまさに奏楽堂内の全員が腑に落ちない駄作ができてしまった。思わず自分も“記念”に写メした譜面がこちら。

何と「フラッター」という現代奏法まで出てくる。何らかの悪意さえ感じる。

此の度のこの録音はその学校の出身者〜多分その殆どがご年配であろう〜が母校の校歌を懐かしみ口ずさんでもらう、そんなステュエーションが目的であろう。なのに、いきなりこんなオケ曲を聴かされたら…具体的には、オーケストレーションが悪いため主旋律がちゃんと聞こえてこない、和声が勝手に変えられて凝り過ぎている、要らないオブリガードが元のメロディーを邪魔している、管弦楽法を習ったことがないのか音域が異常に高過ぎる低過ぎる等。

それでも制作サイドはかなり頑張っていた。不要なイントロや間奏等はどんどんカットしたり、奇抜過ぎる音や和声は変えたり。上の譜面の編曲者による物は同じく2曲あったが、もう1曲の方は編曲者と作品自体を差し替えたり。

だがそんな訳で、全ての録音が終わった時の、オケ全体の釈然としない雰囲気は実に実に印象的であった。「本当にこんな編曲でいいの?」という…。

とは言え、こういった批判は自分にも当てはまることがある。鏡に向かって言っているようでもある。今回の編曲者の中には、調べてみたら過去にモーニングコンサート等で作品発表をした人もいるようだが、いつも不満だったその新作発表を思い起こすと改めて「やっぱりなぁ」と思った。あまり成長していないようだ。聴く人の気持ちになって編曲することについては、これから更に学んでいって欲しいと願う。


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チリ・レポート〜地球を感じる

長い長い国際線の機内では、どの席になるのか、そして隣にどんな人が座るのかは大変重要なポイントになる。ところが帰路の1便目は、往復4便中で最悪だった。横10列中の真ん中で、しかも隣りがデカいチリ人のオヤジ。一体フランスに何しにいくのだろう?とにかくこれで14時間は精神崩壊レヴェルだ。トイレに立つ回数などをできるだけ減らし、立った際には最後尾のスペースでできるだけ(文字通り)羽を伸ばし、後は只管寝る…そうこうするうちに一晩過ぎて光が差し込み、ようやっとパリに着いた。

パリは北半球、もう夏だ。シャルル・ドゴール空港は昔より随分変わった。更に大きくなったのか、ゲートとゲートの間を電車で移動したりする。ここでは5時間のトランジット。顔を洗い髭を剃り、ラウンジでゆったりしていたのだが、すぐに飽きて早めに出発ゲートに向かう事にした。

ところが、ここのセキュリティゲートで何故か妙に引っ掛かった。うっかりミスで水を入れた水筒を持ち込もうとして、その場で500mlを無理矢理飲み干させられたまではまだ良い。その後手荷物を全部開けさせられて調べられたのが超面倒だ。結局通して貰えたものの、数あるお土産品をしげしげと眺められたのは、ちょっと恥ずかしかった。

考えてみればここはヨーロッパ。近年テロが多発しているのは周知の通りである。日本人といえどもチェックは容赦ないのも解るような気がする。

そして午後1時。最後のAF276便に乗り込むと同時に「ご搭乗ありがとうございます」という懐かしい日本語が聞こえて来た。席は窓側。長いフライトでは通路側が望ましいが、さっきの席よりは何倍もマシだ。窓からの眺めを満喫できるというものだ。雲海の切れ目から見える北欧の風景を楽しんでいた。

成田には翌朝到着予定。なので外は一旦夜になる。幻想的な夜明けが見られる筈だと、期待してカメラを構えていたのだが…

完全に外された。白夜だったのだ。この時期の北極圏は太陽が沈まない。沈まないどころか真横から太陽の強烈な光線が飛び込むので、窓を閉めざるを得ない。我ながら“読み”が甘かった。

おかしいな、さっきまで南半球に居た筈なのに…

そして飛行機は着陸態勢に入り、一旦太平洋に抜けてから旋回して滑走路へ。あんなにカッと照らしていた太陽は分厚い雲に覆われ、雨の中を着陸。飛行機を出た途端「うわなんだこれ!?」という湿気。折しも梅雨真っ只中の日本に帰って来た訳だ。

別に世界中を旅した訳でもないのに、この一連のフライトで地球という球体をまじまじと体験した帰路であった。

そして今、自宅で寛いでいると、昨日までの10日間が夢のように感じる。

       

だがそんな思い出に浸る間もなく、来週早くも藝フィル再始動。続いて夏のブラスバンドシーズンもすぐそこに迫っている。

 


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チリ・レポート〜帰路とその他諸々

出発の朝は吐く息が白く見える程寒かった。サンティアゴの6月は1年のうちで最も降水量が多く、このシリーズ中殆ど曇り空、夜もただの1度も星を見る事ができなかったのは至極残念である。皮肉な事にこれから飛行機に乗るって日に雲ひとつ無い快晴となった。とにかく今回7泊したシェラトンホテルに別れを告げ、空港行きのバスに乗り込む。


何だか忙しいチリでの1週間であった。仕事に来たのだから当たり前なのだが、それでも折角地球の裏側まで来たのだから、ちょいちょい暇を見つけては近場にちょいと足を伸ばして散歩したりお土産を買ったり。


マポチョ川とコスタネラセンター・タワー

シェラトンホテルから東に歩いた新市街では、彫刻の森よろしく青空美術館があり、興味深い彫刻やオブジェが沢山展示されており、無料で入れる企画展もあった。

     

高く聳えるコスタネラセンター・タワーの1階はいわば日本の「イオンモール」みたいな所で、ここでの商品にはある意味カルチャーショックを受けた。

チリといえばワイン。その量はとにかく凄い。このシリーズ、自分も随分飲んだが、とにかくどれもこれももの凄く美味しい。しかも値段も手頃。お土産に買って帰った事は言うまでもない。

    

ケーキやチーズの売り方もハンパない。一人どころか何人で食べても食べきれない大きさだが、とにかくとても美味しそう。チリには「ボンッ」「ドカン」という体型の人をよく見かけるが、なる程なと思う。多分「腹八分」という概念は無いのだろう…健康にはあまりよろしくないと思うのだが。

 

一方こちらは旧市街にあるお土産街。古そうな店屋が並ぶが、殆どの店でクレジットカードが使える。チリの名産は、ワインの他には銅製品とラピスラズリという青い宝石。他にも南米独特のポンチョや織物等、ここにいるとあれもこれもと目移りして大量に買ってしまう。ゲネプロと本番の間で買いに来たのだが、つくづくもっと居たかった。


そんな思い出と(あそこも行きたかった、あれも買いたかった)という心残りを胸にバスからまたアンデスの美しい山並みをボーッと眺める。来た時と同じく、またパリ経由でトータル31時間の旅がまっている。これでも往路より2時間短いか(苦笑)


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