見えないヴェール

5年ぶりにお馴染みのアマチュア・マンドリンオケのエキストラに出演してきた。考えてみればこのマンクラとの付き合いも、かれこれ20年になる。最初は全く違う世界故、珍しさも手伝って楽しく仕事させて頂いた。

だがやはり20年も経つと、幾らたま〜にお邪魔するとはいえ、一緒に演奏していて何かもの足りなくなってくる。何故なのか?当然プロとアマチュアの違いというものもあるが、毎年定期公演にてわざわざお客様をお呼びして自分達の音楽を披露するにしては、まだまだ伸びしろというものが感じられたから…か…も知れない。

楽器や技術的な事はよく知らないが、団員のレヴェルは多分一定の水準以上のものを持っているのであろう。フルートで例えれば、全員アルテの教則本第3巻程度は吹けなければついていけない、といったところか。でも逆にアルテの3巻程度では所詮プロにはまだ遠い。その“距離感”は先ず音程に表れる。

マンドリンはギターと同じくフレットが付いているので、調弦さえしっかりやればピッチは合う…筈であろう。だが、例えば全員で音階やアルペッジョを基礎練習として弾く場面に何度か遭遇しても、何故か細部まで全員がビシッと合っていた試しがない。賛助出演の管楽器奏者達はそれを隔靴掻痒の思いで聴いていたと思う。彼等はピッチをA=440Hzでやっているそうなので、こちらもそれに変更させられたが、普段より低めの音程でしかも弦側が合っていないとなると、時折自分のはめ込むポイントが判らなくなる。何より撥弦楽器は演奏を続けるとピッチが下がって行くが、管楽器は上がっていくのだ。本番ではさしてチューニングを挟む機会もなく、どうなるかと思ったが、何とかお互い歩み寄りながら最善の響きを作っていった感じだ。

ピッチについてはまだマシで、更に気になったのが何というか…サウンドの「薄さ」だ。尤もマンドリン族はフルートと同じく元々力強さというものを求めない楽器かも知れない。知れないのだが、これだけの人数が集まっているからには、もっとこのオケが「鳴って」も良いのではと思った。

今回のプログラムは全て指揮者の自作自演である。そのどれもが名曲に値する素晴らしい音楽だ。特に管楽器が加わった最後の2曲は、古典派からロマン派初期への「シュトルムウントドランク」(Strum und Drank=疾風怒濤)を彷彿とさせる力強い音楽なので、地の底から湧き出るようなフォルテが不可欠だが、ビシバシ鳴っていたのは管楽器だけなので、リハーサルなどでは相当バランスが悪かったであろう。

しかし本番では皆頑張ってかなりかき鳴らしていたようだ。ホールの響きも手伝って、ようやく曲の真髄に迫るサウンドになってきたが、先のピッチの件も重なって自分には自分の前、つまり管と弦との境に見えないヴェールのようなものを感じ、釈然としない気持ちのまま帰路に着いた。指揮者(=作曲者)の先生はどう思ったであろう?本音を訊いてみたいところだ。

帰って来てふと思った。マンドリンが好きで、そしてこの温厚な人柄の指揮者を敬愛して集まっているとても仲の良いメンバーだと思うが、敢えて違う人に振って貰うのはどうか、と。マンクラといえば、某大学の恐るべき体育会系をトラウマのように連想する自分であるが、あそこまででなくとも、あの作品の芸術性を高めるには厳しい指導者の下で育まれる一種の“危機感”“緊張感”が必要なのかも知れない。


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