独り寂しく…

先日の日フィル定期の演目、マーラー「大地の歌」で、3番トランペット奏者の方が「オレ、1曲目しか吹く所がない」と嘆いていた。全6楽章あるあの曲で、最初の楽章を終えたら、つまりその後約1時間ステージでじっとしていなくてはならない訳で、それはそれでさぞかし辛いものがあるだろう。

同じように、オーケストラでピッコロを吹いていると、たまに皆がffでワーッと盛り上がっている中で、自分だけ休符だから独り寂しくじっとしていることがある。昔はちょっと恥ずかしかったり、適当に参加したい気持ちもあったりしたが、最近はあまり気にならなくなり、図太く周りを見回したりしている。

そういったシテュエーションには、それなりに理由があろう。例えば音域。チャイコフスキーの交響曲第4番などは一番最後の音(=全員ユニゾンでF)はピッコロの音域よりも下の音なので自分だけ休み。

ピッコロではないが、ハイドンのオラトリオ「天地創造」、この曲では途中1曲だけフルートが3本必要なので、3番奏者はこの曲が終わると最後までステージ上でじっとしていなければならない。終曲などはとても盛り上がる曲なのだが、要らないものは要らないという事か。

このように、作曲者にとっては必要不可欠な楽器をその場面場面で宛てがっているだけであり、その前後は独りだけ待たせるとか、そんな事までは殆ど気を遣っていない。ピッコロに限らず、3番以降の奏者とか特殊楽器とかが同じような思いをたまにしている。

それはそうと、何故パートだけ?!何故この人だけ?!という、実に理解に苦しむ曲に最近遭遇した。

それはラヴェルの「左手の為の協奏曲」。問題の部分はスコアのここ。

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赤で囲んだ所の左上にたった一言「1゜」と書いてある。これは「1st.のみ」ということ。2nd.はその直前の2拍子までは重音の下の音を吹いているが、このスコアの通りにパート譜を作成していくと、当然ここから先は2nd.Fluteは全休符となる。因みに2段目は3rdの楽譜。という訳でこの練習番号46から約13小節の間、オーケストラがfffのクライマックスを迎える中で2番フルート奏者だけがたった1人取り残される事になってしまうのだ。

ラヴェルは何故こんなオーケストレーションにしてしまったのか?本当にこのパートだけピンポイントで削ったとは到底考えられない(何らかの個人的感情でも絡んでくれば話は別だが)。

もし本当にフルート2本だけで行きたいのなら、3rdを休ませる筈だ。これはあり得る。その場合はこのスコアの2段目に「2゜」と入れる。また、もし1番上のパートを2人同時に吹かせたいのなら、「1゜」ではなく「a2」と入れなければならない。

そんな訳で、これは多分ラヴェルか、若しくは初版スコアを出版した出版社のミスだろうと思う。

とはいうものの、実は自分はいつもこの曲に関しては3rd(Picc持替え)の席に座り、未だ嘗て2ndを吹いた経験はない。この部分は結構キツいので、最近は隣でじっとしている奏者を羨ましく思ったりする。

ところで、指揮者ってこの部分について、どの程度気づいているのだろうか…?


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