G大オペラつれづれ〜メルパルクから奏楽堂へ

引き続きG大オペラネタ。考えてみればこの毎秋のオペラシリーズ、入団から数えて今回は23回目の出番だった。降り番の年も何回かあったので、全部は経験していない。そもそもG大オペラ自体、もう60年以上も続いている結構古いシリーズなのである。

その長い歴史のたかだか3分の1程度とはいえ、23回も乗っていると、まあそれなりに色々と忘れ難い出来事もある。思いつくままに古い順から上げてみると…

1988年 モーツァルト「皇帝ティトの慈悲」

丁度昭和天皇崩御の数ヶ月前という時期で、世の中は“歌舞音曲の自粛”という風潮があった中(懐かしい!!)、開演前に学長さんが舞台に出て「学生の大切な研究発表の機会なので敢えて公演させていただく云々」というご挨拶があった。この年に、素晴らしい歌声を披露してくれたティト役の山路芳久先生は、その後間もなく若くしてこの世を去る事になったのはとても残念である。

1993年 ニコライ「ウィンザーの陽気な女房達」

確かこの辺で初めて字幕が付いたが、逆にそれまではなかった訳だから、話の筋を知らないお客さんにはチンプンカンプンだったであろう。初字幕は電光掲示式ではなく、何か大きな幕を上にスライドさせる涙ぐましいシステムで、セリフが替わる度にいちいち「ズザザーッ」という音がしていた。電光掲示式になったのはその翌年位から。

1994年 モーツァルト「フィガロの結婚」

楽屋荒らしに遭う!ある団員は高級ブランドの黒服を丸ごと持って行かれ、またある女性は財布を盗られた。自分は無事だったが、当時のスタッフも含めた会場警備の手薄ぶりが露呈された。

会場は港区:芝にある郵便貯金ホール。後に「メルパルクホール」と改名され、現在はコンサートよりイヴェントに多く使われているようである。自分の入団当時からずーっとここだった。

オペラシリーズはA組B組と、必ず2つのキャストが揃い、当時はGP本番の組み合わせで演目をまるまる2回通す事もあった。とてもキツかったのを覚えている。その後、ホールの老朽化、そして近々奏楽堂も完成するということもあって、1997年の「皇帝ティトの慈悲」をもってこの会場での公演は終了となる。

 

(次の記事に続く)


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