迷惑な拍手

演奏者にとって、基本的にお客様の拍手は有難いものである。

だが、時と場合によっては「え”〜!?そこで来るかァ〜」とがっかりするタイミングの拍手もある。

勿論、恐らく本人が本当に感動してここで手を叩きたいと思ってする拍手が殆どであろう事を信じる。

 

例えばつい先日のコンサート。全4楽章あるコンチェルトの第2楽章の終わりが極めて派手で、且つあまりにもソリストが素晴らしいので、残りの2楽章を待たずに思わず「パチパチ」と数発来たのは、何か解るような気がする。

かなり昔だが、小沢征爾氏&サンフランシスコ響が来日して、その地方公演だったか。チャイコフスキーの「悲愴交響曲」の第3楽章が終わった時点で「ブラボー」付の大喝采だったのをFMライヴで聴いた事がある。勿論拍手も止んでようやく静かになったところで、第4楽章が厳かに始まっていたが…まあ、この後があったなんて皆知らなかったのだろうな。

更に更に昔の話。今度は自分がお客だった時。東京文化会館にて山田一雄氏&都響の「1812年」だったが、その時は本当に全曲が「ジャーン」と終わって大喝采。自分も感動して目一杯手を叩く…が、何かおかしい。指揮者がこっちを振り向かず、オケも一緒にじっとしたまま。よくよく聴いてみたら、まだ効果音の鐘の音がガラガラガンガンと鳴っていた。お客は当然、皆知らなかったから仕方ないのだが、今になって考えてみれば極めて不可解な演出である。

 

とまあ、これらは思わず苦笑いしてしまう程度の意外な拍手のシーン。一方、演奏者にも他のお客さんにとっても実に迷惑な拍手もある。

 

曲によっては、音が切れた後、ホールに残る余韻をじっくり味わう場面もある。ところが、その雰囲気を1人でぶち壊す拍手というのもある。これは「オレはこの曲の終わりを知っているんだぞ」と、暗に周りにそれをひけらかす「知識拍手」という極めて稚拙なもので、これには困ったものだと故・岩城宏之氏も著書等で述べている。

記憶に新しいところでは、先日のブルックナー9番がそうだった。未完のこの曲は第3楽章アダージョで終わってしまう。んな事はプログラムを見りゃ誰だって解るのに「ハイ皆さんここで終わりなんですよ拍手しましょう」と言わんばかりに1人がフォルティッシモで「パチパチ」と始めた。指揮者もオケも他のお客さんも、ホールに残るホ長調の響きをまだまだ味わいたかった。皆がその為のストップモーションだったのに、そのKY人間のせいで仕方なく指揮者も腕を下ろし、後から連られてサワサワと拍手が起こる。正直言ってムカついた。悪意さえ感じた。

最近はオケのコンサートも昔程TVやFMでは放送されなくなったが、曲が終わるや否や間髪入れずに「ブラボー!」と雄叫びをあげ、後の放送でその自分の声を聴いて自己満足に走る「ブラボー屋」というのは、まだ存在するのだろうか?

 

演奏者にとって、基本的にお客様の拍手は有難いものである。

だが、別にクラシックに精通していることがそんなに凄いことでもないのに、その知識を拍手やブラボーのタイミングでひけらかそうとする人には、くれぐれも遭遇したくないものである。演奏者としても、お客としても。


カテゴリー: コンサート, 思い出, 感想・意見, 苦情・批判 タグ: , , , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください