発表会の効能

今年の発表会も無事に終了し、あれから2週間経った。現在録音、録画、写真等の処理に遅まきながら負われている。

2年毎に開いてきて今回が第12回だったので、もう24年、実は正確には25年間、つまり四半世紀続けてきた訳である。

自分は開演中は、いつも司会進行を陰マイクでしている。各演奏の前に、ほんの少しだけ出演者や曲の紹介をしてから演奏、という段取りだが、ちょっと数えてみたらこの25年間で計129名もの出演者をこうしてステージに送り出してきたことになる。

出番の直前にステージ袖で待機している各生徒さんのすぐ傍でこのMCをしていると、その心情が自分には実によく伝わってくる。いよいよ出番だ!というあの緊張感、演奏中の一世一代ともいえる真剣勝負、そして演奏が終わった時の半分魂が抜けたような表情…。

まあこの129名全ての生徒さんがそうだったという訳ではないが、本当に皆さんご苦労様、お疲れ様と声をかけてあげたい。でもこうして(人生の中でもそう沢山はないであろう)大変な思いを敢えて体験し、日々のフルートライフに刺激を与えることは、上達の為の大切な鍵となる事が、これらの発表会を経て解った。

およそ「音」を「楽」しむというものは、演奏して楽しむ事と鑑賞して楽しむ事の2つに分かれるが、特に前者は上達につれて、本人だけが楽しむ事にある意味飽和感を感じてくるだろう。いつもの先生だけではなく、身内や友達、そして他の誰かに…と自分の演奏を聴いて貰う機会があればいいなと。おさらい会・勉強会・発表会等はこの演奏者と鑑賞者の融合の場。良い機会だと思って早速参加してみる。

ところが、いざ出てみれば先述のようなアドレナリン大放出状態!お客さんの注目とライトを浴び、まるで綱渡りでもするかの気構えで、無我夢中で楽器に息を入れ指を動かし、気がついたらもう終わっている。人によってその時の思いはそれぞれであろう。達成感・満足感・後悔・不満etc…自分も何百回となく経験している。

結局ステージ上でやっている事は自分との戦いであり、「本番」という魔の圧力の下、昨日まで一所懸命練習してきた通りにできるかできないか、とかやっている訳だが、意外と「ここをミスった」とか「あそこがダメだった」みたいな事がバレているのは先生にだけであり、他のお客さんには殆ど判っていないものである。判っちゃったとしても(余程のアクシデントでもなければ)すぐ忘れられてしまう。人間の記憶なんてそんなもので、大抵は「楽しそうに吹いていた」とか「熱演だった」とか、奏者の雰囲気のみが伝わっているものだ。寧ろこちらの印象の方がいつまでも残るから、遥かに大切な事なのである。

綱渡りなら失敗すれば命に関わるが、発表会では失敗しても誰も死なない。

大事なのはこの後だ。皮肉なもので、技術のレヴェルアップは本番後に表れてくる。大勝負の後は少し笛から離れたい気持ちも解るが、休むのはそこそこにして、割とすかさず次の曲をさらい始める。その時「あれ?自分、少し上手くなったかな?」と感じたり、これまで100万回も繰り返したくせに本番でできなかった事が、気が付いたらできるようになったり、という事もあるのだ。そう、丁度今頃の時期か。

何故だろう?その科学的仕組みは自分にも解らないが、ここに発表会の効能の1つがあるような気がする。


さて、とはいえ折角のステージなのだから、一発勝負だけで去ってしまうのも勿体なく、もう1回位人前で吹く時間があってもいいだろう、という訳でプログラムの最後には全員で合奏する機会を設けている。

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これの為の練習時間はとても限られていて、全員で音程やタイミングを細かく合わせる、なんて事はほぼ皆無。なので、本番での出来映えはいつもイマイチなのだが、まあ単純にステージで吹く楽しみだけでも味わって貰えばそれでいいと思う。

上手くいかなかった場合は、完全に指揮者でもあり編曲者でもある自分の責任なので。


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