新垣さんと「ちり紙交換」

先日テレビ朝日系列の番組「しくじり先生・俺みたいになるな」にて、今話題の作曲家・新垣隆氏が講師として出演していたのを観た。

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18年間に渡って佐村河内氏のゴーストライターを務めていた彼の心の葛藤を赤裸々に告白し、ヴァラエティなのでそれを生徒役の芸人達が面白可笑しく盛り立てていたが、ここで浮き彫りになったのは新垣氏の真面目で温和な人柄であった。自分だけでなく、恐らく視聴者の誰もが「新垣さんって本当にいい人なんだな」と思った事であろう。

願わくば、あまり周りが寄ってたかって彼を弄らないでほしいものだが(笑)

ところで、そのゴーストライター時代の心境を彼はこう語っていた。
「最初はどういう形であれ、自分の曲が世に出て親しまれるのは嬉しかった」
「そのうち世間を欺く罪の意識に耐えられなくなった」

自分が「あれっ?」と着目したのは、この最初の方の言葉だ。自分の曲が世に出て親しまれるのは嬉しい、という気持ち。状況は全く違うが、昔自分も同じような気持ちを抱いた事がある。

そこで話はガラリと変わる。

新垣氏がゴーストライターとなる頃より、更に遡ること6年位か、自分は当時組んでいた木管五重奏の為に2曲のピースを書き、それがコンサートでは大いにウケた。

1つは古今東西様々な春に関する音楽をパロディックに並べた「春の音楽メドレー」、もう1つは「ちり紙交換の主題によるパラフレーズ」という奇曲だ。或る日、とある管楽器奏者W氏より、この2曲の楽譜を貸してくれとの申し出があった。更には、後に別の編成用に書き換えてくれとも。

自分より一周りも二周りも年上である業界の大先輩達が、自分の作った曲を演奏して下さるなんて、光栄極まりない思いであった。勿論二つ返事で承知した。

…さてそれからやや暫く経ち、ひょんな所で思いがけない人から「こないだ君の曲やったよ。アレ、面白いねぇ」と声をかけられた。こちらも意外だったので何の曲ですか?と訊いてみたら、先の2曲の中の一つであった。

こういう事がその後何回かあった。自分の知らない所で自作が使い回しされているのを耳にすると、次第に複雑な気分になってくる。初期の頃の「光栄だ」なんて気持ちは「勝手に演奏しやがって」という気持ちに変わっていった。

元々は自分だって原作をパクった作品な訳だから、別に演奏料や使用料なんて要らない、というか貰ってはいけない。だが、最初にお貸ししたW氏には一言それなりの報告が欲しかった。そこである時「楽譜を返して欲しい」とお願いしたが、適当に躱されてしまった。

ただ、本当にこの人には悪気はないのだろうとその時察知したので、この曲に関しては自分はもう諦めた。同時に、金輪際この人には貸すまいと、心に決めた。

こういう例は実は一つだけではなく、他にもまだある。軽い気持ちで貸したらコピーされてどんどん使われていった訳だ。

先日は「頼まれたら嫌と言えないその性格が故にこんな事になったしまった」という新垣氏の言葉に、少なからずとも共感した次第だが、今度は本当に自分も気をつけようと思う。


つい2週間程前、とあるフルーティストに久々にお会いした際に、先の「ちり紙交換の主題による〜」の話題が出た。それこそ(自分の知らない所で)この曲を演奏してくれた方だが、流石にこの曲は二度と再演される事はないであろうと確信している。

何故なら、今の世の中「ちり紙交換」という職業がもう存在しないからである。昭和が終わって既に27年、街中をこの車が時折走っていたあの「毎度お馴染みの〜」という声が次第に人々の記憶から消え去っていく今日、あんな曲をやってももうウケる事はないだろう。

 


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