不滅の魂(後編)

人間は2度死ぬと言われている。

1度目はその人自身が死んだ時。2度目はその人を覚えている周りの人達が死んだ時。

例えばAさんという人物が亡くなった時、知人のBさんは、Aさんの顔、背格好、声、喋り方、もしかしたら性格や癖まで覚えていることであろう。言うなれば「心の中で生きている」ってヤツだ。だから、そのBさんが亡くなるか、若しくは何らかの原因でAさんについての記憶が完全に消えた時、この世からAさんという人物は完全に消える、という訳だ。

ただ自分は昨今、Aさんという人物は本当にこれで終わりだろうか? と疑問に思うのである。

もしAさんが偉大な芸術家で、音楽なり美術なり文学なりで、様々な傑作を後世に残しているとしたら…。Bさんが亡くなろうが何百年経とうが、そこにまだAさんの魂は残されているという考えはどうか?

この事について考える時、自分はいつも大作曲家ベートーヴェンの事が真っ先に頭に浮かぶ。

彼の曲を聴いたり演奏したりしていると、妙に会った事も喋った事もないベートーヴェンさんの存在を感じる。多分凄いロマンチストで且つ真面目で、何にでも拘るくせに意外とズボラな人なんだろうなぁと想像する。まさに曲が彼そのものともいうべきか。

0522SCAN_0009

それ程までに彼の音楽には特徴があるのだが、勿論それは何もベートーヴェンに限った事ではない。「フィガロ」なんか吹いているとやはり思いっ切りモーツァルトさんだし、「白鳥湖」なんか聴いていると、うんやはりチャイコフスキーさん的な空気をそこに感じる。

自分はガクタイだから音楽の話をしているが、多分美術や文学作品にも、そこに目に見えない作者の存在を感じながら鑑賞している瞬間があるだろう。優れた作品に宿っている作者の魂というのは、つくづく永遠に不滅だなあ…と思う訳である。

現代では映像技術の発達により、何も芸術家でなくとも、ビデオカメラで撮しさえすればいつまでも故人の姿や声が残せるようになった。自分の両親でさえ、いつでも画面上に再生すれば懐かしい姿を見る事ができる。だが、その両親とは勿論もう会話はできない。

だがある意味、芸術作品は、演奏や鑑賞によって、作者と会話ができるような気がする。特に音楽は、作曲者と演奏者の間に「楽譜」という時空を超えた“SNS”があり、その上で双方が満足できるパフォーマンスを求めて、何か駆け引きみたいな事をしているともいうべきか。

そういう意味では、自分は音楽をやっていて良かったなと思うし、作曲家でもないのにそんな後世に残るような曲が作れたらいいだろうなぁ…とも思う。


昨日は昨日で、後世に残るどころか、演奏が済んだらいち早くこの世から抹殺したいと誰もが思うような新作の本番があったが、作曲者はまだ若いからそんな事はひとつも感じちゃいないだろう。まあ、人生経験を重ねていくうちに、反省を重ねながら立派な作曲家になっていく事を期待している。


カテゴリー: 感想・意見, 演奏会報告 タグ: , , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください