マーラーの生涯とオレの人生

今日はグスタフ・マーラーの誕生日である(1860年、ボヘミア)。

20140707

バッハやベートーヴェンと共に自分が好きな作曲家の一人であり、特に学生の頃は彼の交響曲の虜になってよくLPを聴きまくったものだ。

指揮者としても活躍したマーラーだが、51歳になる直前で残念ながらその生涯を閉じている。その時に作曲中だった交響曲第10番は第1楽章のみの未完となってしまった。

マーラーの書く管弦楽曲は、どれももの凄い大編成でしかも長大。歌曲でさえ殆どがオケ伴だ。指揮の仕事の傍ら、僅か30年程の間にこれらの大曲をこれだけ書くのだから本当に凄い人だとつくづく思う。

そして、今の自分の年齢の頃には既に他界している訳か….そこで、ふと思い立って、彼の年表と自分の人生と比べてみたら、面白い事が。

彼が主要曲を作った年齢の時に、自分にも重要な出来事があったりしたのである。

例を挙げてみよう。

カンタータ「嘆きの歌」を作曲したのは彼が20歳の時。自分は20の時、木管五重奏で初の自主公演を開いていた。

交響曲第1番「巨人」を初演したのは彼が29歳の時。自分は29の時、初リサイタルを開いていた。

交響曲第2番「復活」を初演したのは彼が34歳の時。自分は34の時、母を亡くし子供が生まれた。

交響曲第3番「夏の夜の夢」を作曲したのは彼が38歳の時。自分は38の時、アマデウス・クィンテットに加わった。

交響曲第6番「悲劇的」を作曲したのは彼が44歳の時。自分は43~44の時、父を亡くし交通事故にも遭った。

交響曲第8番「千人の交響曲」を作曲したのは彼が47歳の時。自分は47の時、右手首を怪我した。

交響曲「大地の歌」を作曲したのは、彼が48歳の時。自分は48歳の時、CD「YUMOJAZZ!?」をリリースした。

交響曲第9番を作曲し、更に10番に着手したのは彼が49歳の時。自分は49の時、東日本大震災があり、その後もとても嫌な事が続いた(ここでは言えないが)。

まあ、考えてみれば毎年1曲ずつというペースで書いていた訳だから、そりゃ何かしらの一致もあるだろう。ただ、第2番と第6番の一致は流石にちょっと驚いたが。

因みに、マーラーが連鎖状球菌による血液の感染症で息を引き取ったのは51歳になる50日前(1911年5月18日)。自分はそれに相当する日(=2013年10月20日)、何をしていたか?

大雨の日曜日。生徒のレッスンをしていた。


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