最終回のみの放送

芸大フィルハーモニアによる台東区の音楽鑑賞教室が今日終わった。

オケの音楽鑑賞教室で、プログラムの大概最後にやって来る曲の一つにドボルザークの「新世界交響曲」第4楽章がある。今回もやった。カッコいい曲である。だが自分は、このような鑑賞教室でこの曲を演奏する度に、ほんのちょっとした戸惑いを感じている。

新世界交響曲には所謂「循環形式」が使われていて、全楽章を通して同じテーマが何度も形を変えて出てくる。この第4楽章ではそれこそ第1〜3楽章での断片が総て現れ、それまでにあったいろいろな物語が回想される。そう、ドラマの最終回で、前回までの印象的な人物が一気に皆出て来て盛り上がる話があったりするが、それに似ている。

20140317

だから第4楽章だけ演奏するのは、その“最終回”のみ演奏するようなものだ。大方の小中学生達はそれだけを聴いて「何か解らないけどとにかくスゴイ、カッコイイ」と拍手しているのであろう。勿論それはそれで良い事で全然構わない。

自分もやはり小学5〜6年の頃、岩城宏之氏&N響の「新世界」をTVで観て以来これにハマった。その後全楽章を憶えちゃう程聴いていたマセガキだったので、それだけに第4楽章だけというのは、今でもちょっと勿体ない感じがする。

とはいえ、40分以上もかかるこのドッシリした全曲をいきなり子供にじっと聴かせるのは、仮に鑑賞教室でなくともキツいだろう。

そこで、司会者が一言だけこのテーマにまつわる話をして「機会があれば一度全部聴いてみて」的な話をしてくれるなり、解説文に載せるなりしてくれれば、もっとこの曲の素晴らしさが伝わるかも知れない

…とつくづく思うのである。

と、ここまでは鑑賞者サイドの話。

実は演奏者サイドからも(自分だけだと思うが)この曲の演奏モードに入るのが、いつもちょっと辛どい。

要するに「気持ち」の持って行き方の話。そういう訳で1〜3楽章をやらずにいきなり始めるどころか、この直前のプログラムが「オーケストラと一緒に歌おう」とかルロイ・アンダーソンのイージーリスニング曲だったりする。

それでヘタするとまだ会場がざわめいている中で「ジョーズ」よろしく「ジャ〜ラッ!」と始めなければならないのだから、気分的にはまるで既に離陸しながらシートベルトを締めているようなものだ。

フルートパートは、まだそれでも最初の7小節は休みだからまだ良い。何とかテンションを上げて行ける。だがもし自分が指揮者や弦楽器奏者だったら、もっと辛どいだろうなあ

…とつくづく思うのである。


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