鼻で笑ってしまった話

サムラゴーチだかヤブラコウジだかムシャノコウジだか何だかという人物が、今世間を騒がせているようだ。

 

当事者達にとってはとんでもない事で心中お察しするが、自分にとっては対岸の火事。というか、騒動になるまで自分はこの人の事を知らなかった。クラシック界ではもしかしたら「芸大ヴァイオリン事件」以来の騒動か?でもまだ立件にまでは至らないようだ。

 

今回の話の面白い所は、コイツがハナッから1曲も書いていない事。それどころか譜面が書けない事!

それをさも自分が書いたの如く朗々と語り、それを周りがものの見事に騙されちゃった事。指揮者の大友氏も広響も。申し訳ないが愉快だ。

例えば既に何曲か書いていて、それとは別に何らかの理由でゴーストライターに書いて貰った曲があるとすれば、作風に微妙な違いが出るので、もの凄く鋭い人は「?」なんて思ったりするだろう。

 

その人の曲じゃなかった!という例は昔っからある。

真っ先に思いつくのがバッハのフルートソナタ。別にゴーストに頼んだ訳ではないが、7曲中3曲がヨハン・セバスティアンの作品ではない事が判明していて、それは何というかこう~詳しく説明し難いが、曲の「重さ」で違いが判る。

 

今回の騒動の場合は、違いも何もない。いかに構想を伝えてたとはいえ、結局作ったのは全部ゴーストさんだし。

だから「ヒロシマ」だとか何だか、これまでの曲は全部このゴーストさん作曲ってことで、CDをプレスし直し、市民賞とやらもゴーストさんにあげて、かかった費用は全額サムラ君が返還(ついでに障害者手帳も返還)ってことでどうか?

 

ひとつ引っ掛かる事がある。自分はこれらの曲を聴いた事がないが、ではその曲の質が落ちた訳ではなかろう。

なのにコンサートが軒並み中止というのはどういう事か?

聴衆はサムラゴーチというブランドを求めていたのか?これらの曲が単純に好きだったんじゃないのか?とにかく「この曲が聴きたい」と楽しみにしていた人もいたかも知れない。何人もゴーストさんがいた訳じゃなかろうし。

つまり、生まれてきた曲そのものに罪はないのである。その人にとってその曲が良ければいいじゃないかと思う。誰が作ったにせよだ。

ま、「作曲者が別人だったって判ったら、何だか白けちゃってあまり聴く気はしないなぁ」というのなら、所詮その程度の曲だったってことか…。

 

自分が「ニセバッハ」と呼んでいる例のソナタは、3曲共とっても素晴らしい曲である。「本物」との違いはあれど、「やっぱりバッハはいいねえ~」と敢えて吹いたり聴いたりする自分は嫌いではない。

 

にしても、「現代のベートーベン」とか最初に言った奴は誰だ!?


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