「タコハチ」と父の人生

芸大フィルハーモニアの定期演奏会でショスタコーヴィチの交響曲第8番(略してタコハチ)を演奏し、いつもの如くピッコロを担当。あちこちに出てくるソロや高音域の強烈なパッセージに、自分自身のみならず周囲のプレーヤーの人達にも多大なる試練を与えることになってしまった。

それはともかくとして、この曲全体の構成、全ッ然関係ないことなのだが、一昨年他界した自分の父親の人生像に妙に似ているなァと、ある時ふと思ったのである。部分的にも全体的にも、検証してみればみる程、恐ろしいくらいマッチしていた。勿論ここから先は完全なるコジツケだが、まあ次のような感じでまとめられる。

もともとこの交響曲第8番は戦争への怒りと悲しみを表現したものだが、悲惨な戦争を描写した第1楽章は、そんな訳で戦時中に生まれた父の、辛く激しい少年時代を思わせる。

第2楽章は、中学を出て塗装工としての修行を積んだ父がいよいよ世に出て仕事をしていく様子。テンポは速く、快活な曲だ。ここで初めてピッコロのチョコマカしたソロが出てくるが、ピッコロ=自分と想定すると、つまりこのソロは結婚して自分が誕生した箇所としてみる。戦後の高度経済成長期の頃だ。

第3楽章は怒濤のごとく突っ走るアレグロで、いわば馬車馬みたいに働きまくる父だ(このおかげで今の自分がある)。途中、愉快なトランペットのソロがあるが、大酒飲みだった父はしばしばこんな風に酔っぱらって陽気だった。

そして、働いて働いて働きまくって、子供達も独立して楽しい老後を、って時に母が死んだ!つまり切れ目なくなだれ込む第4楽章の出だし。ショック、そして悲しみに暮れる父の様子が、この後パッサカリアという形式で、重く延々と続く。折しもピッコロも悲しいソロで登場。

やがて、その悲しみから徐々に立ち直り、寂しいながらもこれからは独り気ままに楽しい余生を過ごして行こう(←本当に父はこういう詩を残している)という、何か吹っ切れた気分がファゴットの美しいソロで表現される。第5楽章の始まりである。

でも物語はここで終わりではない。実はこの後何年か、自分と父は不仲だったことがあるのだが、そんな悪い雰囲気が次第に音楽にも漂う。曲はどんどんエスカレートし、遂に最高潮のフォルティッシモに到達する。この部分は父が重い病に冒されてしまった所で、本人も周りもショックを受けた時に相似している。

その後父とは和解したものの、既にかなり身体が弱っていた父を、自分は病院に連れて行ったり、身の周りの世話をしたりしていたものだ。

そんなある日、夏の蒸し暑い夕方だった。

実家の父に電話したのだが、何だか話の感じが中途半端で切れてしまった。結局これが父との最後の会話になってしまったのだ。この第5楽章に出てくる自分、つまりピッコロのソロはまさにそんな風に中途半端に終わってしまうのである。

その会話の翌日、父は静かに旅立った。まるでその昇天を描写するがごとく、弦楽器群がハ長調の長く美しいコードで静かに息をひきとる。

 そんな訳で、リハーサル中、この曲の最終部分に来て気の遠くなるようなピアニッシモに弦の人達が苦労させられている後ろで、自分はいつもウルウルしていた。関係ないのに、我ながらバカだなァと思う。でも本番では免疫がついたみたいで、平気だった。やっぱりバカだなァ。


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