喪主

8月の暑い日、父が病気であの世に行ってしまった。享年72。ちょっと早すぎやしないか。10年前に母親を亡くしている僕は、葬儀で早くも喪主を務める立場となってしまった。

母の時は父が喪主で、自分と妹でその父をサポートしていればよく、その分だけ悲しみに暮れる“余裕”があった。今度はそんな余裕はない。葬儀屋との連絡、親戚への気くばり、お寺の方丈様への心遣い、式の進行、参列の方々への心配り、お金のこと・・・。とにかく緊張の連続であった。更には母の時同様、葬儀の中で故人にフルート独奏を捧げなければならない。

実は、誰にも何も言われなければヤメテオコウと密かに思っていたのだが、よりによって母の時のことを覚えていた方丈さんに振られてしまった。そんな訳で「故人が生前好んで聴いていた○○○を演奏します」と吹き始めたが、この○○○もうろ覚えで、さらう暇もなく、適当に見繕った感じになってしまった。オヤジ、ごめん。

式が終わり、火葬も終わり、親戚の方々もお見送りして、自分と妹家族の身内だけになってようやく肩の荷が下りたとき、ふと自分は今まで何をやっていたのかという空虚な気持ちになった。確か皆さんを集めて何か大きいイヴェントを急にやらされていたような…でも誰だろう、親族も皆来ていたのに誰か1人、重要な人物が居ない・・・それが父だということがどうにもこうにも信じられなかった。夢でもみているような気分であった。

 こうしてみると人間の「生」と「死」にはつくづく考えさせられる。その人が何処に居るにせよ、どんな状態にせよ、この世に「居る」と「居ない」の違いがこんなに大きいものとは・・・。


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